友禅と聞いて多くの人が思い浮かべるのは、京友禅の華やかな彩りや、加賀友禅の写実的な草花模様だろう。けれど同じ友禅染めが東京にも根づいていて、しかも京都や金沢とはまったく異なる色彩感覚のもとで発展してきたことは、案外知られていない。なぜ友禅という技法が江戸に渡り、そこで地味な色合いへと変わっていったのか。一枚の着物の色使いの奥には、江戸という都市の成り立ちと、庶民の美意識が刻まれている。
友禅染めはどこで生まれたのか ― 貞享年間の扇絵師とその技法
友禅染めの創始は、貞享年間(1684〜1687年)にさかのぼるとされる。京都で扇に絵を描いていた宮崎友禅斎という人物の画風が、呉服店の依頼で小袖の図案に取り入れられたところ評判を呼び、「友禅模様」として広まっていったという。Wikipediaの友禅の項目によれば、この起源説は古くから語り継がれてきたものである一方、近年の研究では宮崎友禅斎自身が技法の創作や大成に直接関わったとまでは言い切れないとする見方も示されており、確定した史実というよりは、技法の広がりを象徴する人物として位置づけられている面があるという。防染のための糊を細く置く「糸目」という技法によって、下絵の線をそのまま彩色の輪郭として活かせるようになったことが、友禅染めを他の染色技法と分ける最大の特徴になった。
なぜ江戸に友禅の技が渡ったのか ― 参勤交代と職人たちの移住
京都で生まれた友禅染めが、なぜ遠く離れた江戸でも独自に発展することになったのか。その背景には、1603年の江戸幕府開設を機に整えられていった参勤交代の制度がある。全国の大名が定期的に江戸と国元を往復する仕組みが確立すると、大名に従う武士だけでなく、装束や調度をあつらえる絵師や染師といった職人たちも、京から江戸へと移り住むようになった。東京都産業労働局の資料によれば、これらの染師は染色に欠かせない清らかな水を求めて神田川沿いに数多く住み着いたという。延宝元年(1673年)には日本橋に呉服店の越後屋(現在の三越)が開業し、その後構えられた染工場は神田川上流の高田馬場付近に置かれた。今も東京手描友禅の工房が新宿区にもっとも多く立地しているのは、この時代からの水と職人の結びつきが今日まで受け継がれてきた結果にほかならない。
京友禅・加賀友禅と何が違うのか ― 色使いと制作体制に表れる個性
同じ友禅染めでありながら、京都・金沢・東京で仕上がりの表情がまったく異なるのは、それぞれの土地の気風が色使いや作り方に映し出されているからだ。Wikipediaの友禅の項目では、京友禅は「柔らかい色調を好み、何色が基調になっているのか判別しにくいほどの多彩な色を使っていながら、配色に神経が使われ上品で華やか」と説明されており、有職模様や琳派模様を得意とし、刺繍や金箔といった加飾も積極的に取り入れる。多くの工程を専門の職人が分担する分業制で仕上げられる点も特徴だ。一方、加賀友禅は友禅斎自身が金沢へ持ち込んだ技法が独自に発展したもので、臙脂・藍・黄土・草・古代紫の「加賀五彩」を基調に、写実的な草花模様を描き出す。これに対し東京都産業労働局の資料によれば、東京友禅は下絵から色挿し、仕上げまでを型紙を使わず一人の職人が手描きで仕上げる点に大きな特徴があるという。一人の作り手が全工程を手がけるという意味では加賀友禅の一貫制作にも通じるが、意匠の面では対照的で、東京友禅はビルが立ち並ぶ街並みや動物、時には宇宙まで題材にするなど、様式にとらわれない自由な図案に挑む例も少なくないとされる。
地味の中に贅を尽くす ― 奢侈禁止令が育てた「渋好み」の美学
東京友禅がなぜ渋く抑えた色合いを特徴とするようになったのか、その理由をたどると江戸幕府による度重なる奢侈禁止令にたどり着く。江戸時代を通じて幕府は絹織物や華美な衣装をたびたび禁じたが、東京都立図書館の資料によれば、江戸っ子たちはこの規制を逆手にとり、表向きは無地や小紋、縦縞といった控えめな柄と、茶色・鼠色・藍色といった渋い色使いでまとめながら、裏地には華やかな色や柄をひそませ、煙管や煙草入れ、根付といった身の回りの小物には意匠を凝らすという振る舞いを重ねていったという。この、見えない部分にこそ贅を尽くす美意識は「裏勝り」とも呼ばれ、権力の締め付けの下でも独自の価値観を貫こうとする反骨精神と結びついていたとされる。東京友禅の抑えた色数と洒脱な意匠は、こうした江戸の町人文化が積み重ねてきた「粋」の感覚をそのまま受け継いだものだといえる。
一枚の着物ができるまで ― 型を使わない手描きの十工程
東京手描友禅がどのような手順で仕上がるのか、伝統工芸青山スクエアの解説によれば、下絵・糸目糊置き・友禅挿し・糊置伏せ・引染め・蒸しと水洗い・湯のし・仕上げ・紋章上絵という、およそ十の工程を経て一枚が完成するという。まず時間がたつと自然に消える青花液という液体で下絵を描き、その線に沿って細い口金から糊を絞り出して防染の輪郭をつくる「糸目糊置き」を行う。この糸目があることで、隣り合う色同士が生地の上でにじみ合うことなく、はっきりとした輪郭を保ったまま彩色できる。色を挿し終えたら再び糊で模様全体を伏せて地色を一気に引染めし、蒸し工程で発色を定着させたのち、水洗いで余分な糊や染料を洗い流す。型紙を使う型友禅と違い、下絵から彩色までの線一本、色の濃淡一つに職人自身の個性がそのまま表れるのが手描き友禅の特徴で、仕上げに紋を描き入れる紋章上絵まで含めると、一枚が仕上がるまでには短くても一か月、複雑な柄では数か月を要するという。
渋さの中に個性が光る、もうひとつの友禅
東京手描友禅は昭和55年(1980年)3月3日に経済産業大臣指定の伝統的工芸品に、昭和57年(1982年)12月24日には東京都知事指定の伝統工芸品にも指定されている。産地の職人をまとめる東京都工芸染色協同組合が設立されたのは昭和37年(1962年)のことで、関東大震災や第二次世界大戦による被害を乗り越えながら、東京の地場産業として発展を重ねてきた。京友禅や加賀友禅に比べると生産量も知名度も控えめだが、型を使わず一人の職人が手描きで仕上げるという性質上、もともと大量生産にはなじまない染物であり、市場に出回る絶対数自体が少ない。もし手持ちの着物の中に、渋い地色の中に凝った意匠を忍ばせた一枚があるなら、それは東京友禅という、京都とも金沢とも違う歴史を背負った染物かもしれない。産地の見分けに迷うようなら、着物買取を扱う専門店に一度たずねてみるのも、その一枚の背景を知る手がかりになるはずだ。