防虫剤は種類が違っても、とにかくたくさん入れておけば安心。そう思っている人は少なくないが、実はこれが着物にシミを作る典型的な原因の一つになりうる。たとう紙の交換時期、防虫剤の組み合わせ、虫干しの時期にまでそれぞれ理由があり、その理由を知らないまま良かれと思ってやったことが、かえって大切な一枚を傷めてしまうことがある。この記事では、着物をしまうという何気ない作業の裏にある化学的な理由を一つずつひもとき、正しい保管の勘所を押さえていく。

着物をしまうという行為は、思っている以上に化学的な作業である

着物を大切に保管しようとして、たとう紙に包み、防虫剤を入れ、桐だんすにしまう。ここまではよく知られた手順だが、この一つひとつの工程には、なぜそうするのかという理由がある。たとう紙は単なる包み紙ではなく吸湿と放湿を担う紙であり、防虫剤は成分によって性質がまったく異なり、組み合わせを間違えると化学反応でシミを作る。虫干しにも季節ごとの役割分担があり、正絹とポリエステルでは保管の考え方そのものが違う。表面的な手順だけをなぞっても、理由を知らないままだと、良かれと思ってやったことが逆に着物を傷める結果になりかねない。ここでは、その一つひとつの「なぜ」を掘り下げていきたい。

たとう紙が黄ばんだら、むしろ着物を危険にさらしている

たとう紙の役割は、防チリ・ホコリだけではない。紙そのものが湿気を吸い込む調湿材として働き、着物が直接空気中の水分や外気の変化にさらされるのを和らげている。とくに和紙のたとう紙は繊維が長く絡み合って通気性に優れ、吸湿性の高さで洋紙よりも優位に立つ。洋紙は繊維が短く表面が滑らかな分、通気性に乏しく劣化も早い。着物用のたとう紙にあえて和紙が選ばれてきたのは、この吸放湿の性能差が理由になっている。

たとう紙自身にも寿命があり、目安はおよそ1〜2年とされる。これを超えると紙の吸湿性が落ちてくる。吸いきれなくなった湿気は紙の中に留まり、変色して黄ばんでくる。この状態のたとう紙は、もはや着物を守る側ではなく、湿気をため込んだ状態で着物に接し続ける存在になってしまう。黄ばみやシミが浮いたたとう紙をそのまま使い続けると、そこに含まれた湿気やカビの胞子が着物側に移り、シミやカビを誘発することがある。定期的にたとう紙を開けて中を確認し、黄ばみや湿った感触があれば、季節の変わり目を待たずに新しいものに交換したい。

防虫剤は「たくさん入れる」より「一種類に統一する」が正解

防虫剤選びで最も重要なのは効き目の強さではなく、種類をそろえることだ。市販の防虫剤には主に、パラジクロルベンゼン、ナフタリン、しょうのう、そしてピレスロイド系の四種類があり、いずれも固体が直接気体になる「昇華」という現象で防虫成分を空間に行き渡らせている。昇華している間は固体のまま少しずつ小さくなっていくだけなので、生地に直接触れても問題は起きない。

問題は、性質の異なる防虫剤を同時に使ったときに起こる。ナフタリンとパラジクロルベンゼン、パラジクロルベンゼンとしょうのう、しょうのうとナフタリンのように異なる成分の防虫剤を一緒に使うと、それぞれの結晶が触れ合った部分で化学反応が起き、成分が溶け出してしまうことがある。これは「共融現象」と呼ばれ、単体では常温で固体を保っている防虫剤同士が、混ざり合うことで液状化してしまう現象だ。昇華している限り無害だった防虫剤が、液体になった途端に生地に染み込み、そのまま乾かないシミや変色として残ってしまう。異なる引き出しで別々に使っていたつもりでも、匂いや成分が混ざり合っただけで危険になりうる。無臭タイプのピレスロイド系だけは化学構造が異なり、他の防虫剤の匂いを吸着することはあっても化学反応で溶け合うことがないため、例外的に併用できるとされている。国民生活センターの注意喚起でも、異なる成分の防虫剤を混ぜて使うとガス化が進みやすくなるとして、防虫剤は必ず一種類に統一するよう呼びかけられている。たとう紙の外側、着物に直接触れない位置に置くのも基本になる。

除湿剤は「入れっぱなし」にした瞬間に逆効果になる

除湿剤も防虫剤と同じく、たとう紙の外、たんすの引き出しの隅に置くのが基本で、着物に直接触れさせないことが前提になる。シリカゲル系の除湿剤には、乾燥した空気中ではさらに湿気を吸い込み続けるタイプと、周囲の湿度がある水準を超えたときだけ吸湿し、逆に空気が乾けば吸った水分を放出する調湿タイプがある。着物の保管では、しまった時点の湿度状態を基準に、一定の範囲で湿度を保とうとする後者のタイプが適しているとされる。ただしどちらの除湿剤も吸湿量には限りがあり、目安として半年ほどで交換時期を迎える。水分を吸いきった除湿剤をそのまま放置すると、たとう紙と同様に、たまった水分がかえってカビの温床になってしまう。除湿剤を入れたことに安心して存在を忘れるのではなく、定期的に取り出して状態を確認する習慣が欠かせない。

虫干しに三つの呼び名がある理由

着物の収納は、しまって終わりではなく、年に数回たんすを開けて空気を入れ替えることでようやく完成する。この作業を古くから虫干しと呼ぶが、呉服店などでは時期によって三つの呼び名が使い分けられてきたといわれる。Wikipediaの土用干しの項目にもある通り、梅雨明け直後の7月下旬から8月上旬にかけて衣類や書籍を陰干しし虫やカビの発生を防ぐことを土用干しと呼ぶ。着物の場合はこれが、梅雨の間にたんすの中にこもった湿気を、乾いた夏の空気で追い出す作業にあたる。夏の名残の虫を払うとされる9月下旬から10月中旬に行うのが虫干しで、夏を越した着物についた湿気やカビの兆しを点検する好機になる。そして一年で最も空気が乾く1月下旬から2月上旬に行うのが寒干しで、乾燥した寒気を利用して湿気をしっかり飛ばす、いわば仕上げの意味合いを持つとされる。夏・秋・冬と三段構えで湿気を管理する習わしは、日本の気候の中で絹という繊維を守り続けるための知恵だったといえるだろう。

実際の干し方は難しいものではない。よく晴れて湿度の低い日を選び、直射日光の当たらない室内で、午前10時から午後3時ごろまでの空気が最も乾く時間帯に、衣紋掛けにかけて2〜3時間ほど風を通す。紫外線は後述する黄変の原因にもなるため、日光に直接さらすのではなく、あくまで室内で風を通す「陰干し」が基本になる。虫干しのたびにシミや虫食いの兆候がないかを点検できるので、単なる湿気対策以上に、早期発見の機会としての価値も大きい。

正絹とポリエステルでは、守るべき理由がそもそも違う

正絹の着物にここまで手間のかかる保管が求められるのは、絹が蚕の繭からとれる動物性のタンパク質繊維だからだ。タンパク質はカツオブシムシやイガといった衣類害虫の格好の栄養源であり、だからこそ防虫剤が欠かせない。また絹は吸湿性が高く、湿気を吸うと同時に汗や皮脂などの汚れも抱え込みやすいため、除湿剤とたとう紙による管理が必須になる。

一方、化学繊維であるポリエステルの着物は、タンパク質を含まないため虫がつく心配がほとんどなく、湿気による型崩れにも比較的強い。そのため防虫剤や除湿剤を必ずしも必要とせず、洋服用の収納ケースで保管しても大きな問題は起きにくい。ただし汚れがついたまま長期間放置すればシミや黄ばみは正絹と同じように起こりうるし、シワを防ぐ意味でたとう紙を使うこと自体は無駄にならない。「化繊だから何も気にしなくていい」のではなく、「虫と湿気という正絹特有のリスクからは自由になれる」というのが、正しい理解になる。

黄変とカビ、正体を知れば予防できる

長期保管した正絹の着物にしばしば現れる黄変は、絹を構成するフィブロインというタンパク質に含まれるアミノ酸が、紫外線や空気中の酸素によって酸化し、変性することで起こるとされる。汗や皮脂がついたまま収納すると、この酸化がさらに進みやすくなるため、着用後は汗を抜いて陰干ししてから収納するひと手間が、後年の黄変を防ぐ最初の防波堤になる。またたんすの中で空気が動かないまま特定の化学物質にさらされ続けると、生地が変色する「ガス焼け」と呼ばれる現象が起きることもあり、防虫剤の匂いや古い塗料の成分がこもったままの環境は避けたい。カビについては、湿気と汚れ、そして滞留した空気という条件がそろったときに発生しやすく、桐だんすが古くから重宝されてきたのは、桐の木自体が湿度に応じて水分を吸ったり吐いたりすることで庫内の湿度変動を抑え、かつ木が密着して高い気密性を保つことで外気や虫の侵入そのものを防ぐためだと説明されている。たとう紙、防虫剤、除湿剤、虫干し、そして収納先の素材まで、それぞれが違う角度から湿気と虫とカビに対処しているとわかれば、保管はもう闇雲な儀式ではなくなる。

もし保管に不安を感じる古い着物や、状態が気になって今後着る予定のない着物が手元にあるなら、状態を整理したうえで着物買取の窓口に相談し、査定だけでも受けてみることをおすすめしたい。