夏祭りや花火大会の季節になると、デパートやショッピングモールに浴衣コーナーが並ぶ。ふと隣に目をやると振袖や訪問着の売り場が続いていて、同じ「和装」なのに値段も並べ方もずいぶん違うことに気づいた人もいるのではないか。浴衣は着物の仲間なのか、それとも別物なのか――この記事では、湯帷子と呼ばれた平安貴族の入浴着にまでさかのぼる浴衣の成り立ちから、仕立てや着付けにおける具体的な違い、そしてどこまでを「よそ行き」として着てよいのかという格の境界線までを、順を追って解説する。
起源は貴族の入浴着だった ― 「湯帷子」から浴衣への道のり
浴衣という呼び名は、平安時代に貴族が入浴の際に身につけた麻の単衣「湯帷子(ゆかたびら)」に由来する。当時の入浴は湯船に浸かるものではなく蒸気を浴びる蒸し風呂が中心で、裸のまま蒸された部屋に入ることを避け、また肌についた汗や水分を吸わせるために、この麻の一枚布をまとった。Wikipediaの浴衣の項目によれば、当時の湯帷子は麻織物で仕立てられていたとされ、絹や木綿が今のように行き渡っていなかった時代、汗を吸いやすく涼しい麻は入浴着として理にかなった素材だった。安土桃山時代に入ると入浴の形態が徐々に変化し、横浜国立大学のきもの文化教育プログラムの解説では、湯帷子は「湯上がりに肌の水分を吸い取らせるために着られるもの」へと役割を移し、江戸時代には庶民にも広く愛好されるようになったとされる。「ゆかたびら」の呼び名がやがて省略されて「ゆかた」となり、現在の浴衣という言葉が定着した。
江戸の庶民に浴衣が広がったのはなぜか
庶民の普段着として定着していく過程には、入浴後の衣という枠を超えた広がりがあった。室町時代末期から江戸時代初期にかけて盆踊りや風流踊りが各地で流行すると、踊り手たちがそろいの浴衣を仕立てて着る「揃いゆかた」の風習が生まれたとされ、浴衣は入浴着から人前で着る晴れ着的な性格も帯びるようになっていったと考えられている。元禄年間(1688〜1704年)以降になると、湯治場でも浴衣が着用されるようになったと伝えられ、庶民の外出着としての地位を固めていったとされる。この普及を後押ししたのが素材の転換である。国内での綿花栽培が軌道に乗り木綿織物が量産されるようになったことに加え、江戸幕府が天保の改革で庶民の絹の着用を制限する倹約策を打ち出したことも重なり、絹に比べて安価で丈夫な木綿の浴衣が急速に一般化した。前出の横浜国立大学の資料でも、この木綿への転換が「現代の浴衣へとつながる」発展の節目として位置づけられている。麻から木綿へという素材の変化は、単なる好みの問題ではなく、幕府の政策と庶民の経済事情が絡み合った結果でもあった。
浴衣の仕立ては着物とどう違うのか
素材だけでなく、仕立ての面でも浴衣と着物には明確な違いがある。前出の横浜国立大学の資料によれば、浴衣の構造は裏地を付けない「単衣(ひとえ)」の長着とまったく同一で、和服の中でももっとも単純で基本的な形だとされる。これに対し一般的な着物は、季節に応じて裏地のある「袷(あわせ)」、裏地のない単衣、さらに絽や紗といった透け感のある「薄物」を仕立て分け、6月と9月を境に袷から単衣へ、7〜8月には薄物へと衣替えをするのが伝統的な決まりになっている。浴衣は一年を通じて単衣仕立てのまま変わらず、この衣替えの体系そのものから外れた存在だといえる。着付けの細部にも違いはある。女性用の浴衣には着物と同じく両袖の内側と両脇に「身八つ口」という開きがあり、腰まわりで丈を調整する「おはしょり」を作る点も共通しているが、男性用の浴衣にはどちらもない。これは浴衣に限った特徴ではなく、着物全体に共通する男女の仕立ての違いがそのまま引き継がれたものだ。また同資料では、着丈も一般的な着物よりやや短めに、くるぶしが見え隠れする程度に着付けるのが浴衣らしいとされている。
下に着るもの、合わせる帯や履物にも違いがある
着るときに何を重ねるかという点にも、浴衣と着物のはっきりした違いが表れる。正式な着物は素肌の上に肌着を着け、その上から長襦袢を羽織ってから着物をまとうのが基本の順序で、半衿のついた長襦袢の衿元を美しく見せることも着姿の大切な要素になる。一方の浴衣は、もともと入浴後や寝間着として素肌に直接まとう衣だった経緯もあり、長襦袢を着けずに肌着一枚の上から羽織るのが一般的な着方とされてきた。帯にも違いがある。留袖や訪問着といった格の高い着物には袋帯や名古屋帯を締めるのに対し、浴衣には半幅帯や兵児帯といった簡易な帯を合わせるのが通例で、結び方も文庫結びなど比較的短時間で仕上がるものが選ばれやすい。履物と足元の装いも対照的だ。着物には足袋を履いたうえで草履を合わせるのが正式とされるのに対し、浴衣は素足に下駄を合わせるのが伝統的なスタイルとされ、下駄と素肌の間に生まれる涼やかな抜け感も夏の装いらしさの一つになっている。もっとも近年は、浴衣に足袋と草履を合わせて着物寄りに装う着方も広まっており、この境界は必ずしも厳密ではなくなってきている。
浴衣は「よそ行き」として着てもいいのか
浴衣を着物の代わりによそ行きとして着てよいのかという疑問も、格の視点で整理できる。浴衣はもともと入浴着や寝間着から派生した衣であり、正式な礼装や茶席・結婚式といった改まった場にふさわしい装いとしては扱われてこなかった。夏祭りや花火大会、盆踊り、旅館の湯上がりといった、カジュアルで季節性の強い場面で着るのが本来の位置づけであり、この点は今も大きくは変わっていない。一方で、その境界は時代とともに緩やかになってきた面もある。前出の横浜国立大学の資料は、平成2年ごろから若い世代を中心に「浴衣ブーム」が起こり、カラフルでファッショナブルなおしゃれ着として浴衣が親しまれるようになったと紹介している。小千谷縮や阿波しじら織といった上質な麻・木綿を用いた高級浴衣も登場し、半衿付きの長襦袢を合わせて単衣の着物に近い着方を楽しむスタイルも広まっている。とはいえ、こうした高級浴衣もあくまで単衣の代用として着られる工夫であって、袷や訪問着が求められる正式な礼装の場面で浴衣そのものが認められるわけではない。夏の街着として気軽に着られる浴衣と、儀礼の場で着る着物とでは、求められる格がそもそも異なるという前提を押さえておくと、装いの選択で迷うことは少なくなるはずだ。
浴衣を「気軽な着物」として楽しむために
湯帷子という入浴着から始まった浴衣は、素材や仕立てを変えながら、庶民にとってもっとも身近な和装として今日まで受け継がれてきた。裏地のない単衣仕立てである点、長襦袢を重ねない着方、半幅帯や下駄を合わせる装いは、いずれも入浴着・寝間着に由来する浴衣らしさの名残であり、格の高い着物とは異なる楽しみ方を前提にしていることがわかる。だからこそ、夏祭りや旅先の湯上がりに気負わず袖を通せるのが浴衣の魅力だともいえる。一方で、家に眠っている祖母や母の浴衣、あるいはサイズが合わなくなった一枚を見直す機会があれば、単衣の着物と同じようにたとう紙で保管したり、状態次第では着物買取に出して次の持ち主に譲ったりすることも、選択肢の一つとして考えてみてよいだろう。