訪問着に合わせる帯や着物の色柄には時間をかけて悩むのに、足元の草履や手にする巾着、髪に挿すかんざしまでは何となく手持ちのものを合わせてしまう、ということは案外多いのではないだろうか。実は草履・巾着・かんざしといった和装小物にも、帯や着物と同じように格の序列があり、それぞれが長い年月をかけて役割や形を変えながら今の姿にたどり着いている。小物一つひとつの成り立ちを知っておくと、コーディネートの精度は自然と上がっていく。
草履という履物はどこから来たのか
草履のルーツは、鼻緒だけでなく足首を紐で縛って固定する「草鞋(わらじ)」にあるとされる。この足首の紐を簡略化し、鼻緒だけで足を固定する形に落ち着いたのが草履で、Wikipediaの草履の項目によれば、平安時代中期にはすでに一般庶民のあいだにも広がっていたという。素材は長らく藁が中心で、昭和に入ってからは農作業用に地下足袋、それ以外の場面ではゴム草履やゴム靴が普及するようになった。明治以降に洋靴が広まるまでは、日本人の暮らしを支える標準的な履物のひとつだったわけだ。草履を語るうえで欠かせない鼻緒については、興味深い風習も伝わっている。「鼻緒が切れるのは凶兆」という言い伝えは、葬列に加わった人が墓場で草履を脱ぎ捨てる際、悪霊が草履を使って家までついてこないよう、あえて鼻緒を切ってから捨てていた風習に由来するとみられている。単なる縁起担ぎではなく、弔いの作法から生まれた迷信だったことになる。
草履の格を見分ける三つの目安
草履の格は、台の高さ・素材・装飾の三つの要素の組み合わせで決まる。台の高さでいえば、底が薄く低いものほど普段使いに近く、台を何枚も重ねて高くしたものほど礼装向きとされる。これは動きにくさと引き換えに格式を演出するという、着物の他の道具にも共通する発想だ。素材については、光沢のあるエナメルや光沢を抑えた本革は礼装から準礼装まで幅広く使え、綴れや布地張りの台は普段着に合わせやすい。ここで見落とされがちなのが畳表の草履で、いかにも格式高い伝統的な履物という印象を持たれがちだが、現在では歌舞伎など舞台用の履物か、ごく一部の男性の礼装として使われる程度にとどまっているという。装飾の面では、鼻緒や台の縁に金銀の糸を使ったものほど格が上がり、逆に鼻緒の柄がはっきりした遊び心のあるものは街着向きになる。この三つの要素がそろって初めて、その草履がどの着物にふさわしいかが決まる。
巾着というバッグに込められた歴史
和装バッグの代表格である巾着は、口を紐で絞って閉じる「日本古来の袋物」で、国際的には巾着型の袋を指す「drawstring bag」というジャンルに分類される携行具だ。Wikipediaの巾着の項目によれば、江戸時代の滑稽本『東海道中膝栗毛』にはすでに印伝革の巾着を持ち歩く場面が描かれており、当時から旅の携行品として定着していたことがうかがえる。明治時代になると『編物教科書』に巾着の編み方が掲載されるなど、和装を彩る装飾品としての地位も確立していった。柄にも意味が込められており、麻の葉文様や鶴・亀・菊といった意匠は、単なる装飾ではなく魔除けや健康長寿を願う気持ちを表すものとして選ばれてきた。腰に下げて小物や金品を持ち歩くという実用の道具でありながら、身にまとう柄そのものに願いを込めるという発想は、着物の文様の考え方ともよく似ている。現在の和装バッグには、巾着のほかに口金で開閉する「がま口」タイプもあり、フォーマルな装いには布地に金具をあしらった台付きのがま口バッグ、普段着には手軽な巾着というように、場面によって使い分けられている。
簪の起源は縄文時代までさかのぼる
髪に挿す簪の歴史は、実は帯や草履よりもはるかに古い。Wikipediaの簪の項目によれば、その起源は縄文時代にまでさかのぼるとされ、先の尖った一本の棒には呪力が宿ると信じられ、それを髪に挿すことで魔を払えると考えられていたという。奈良時代には中国から装飾的な簪が伝来したが、平安時代に国風文化が花開くと一度は廃れてしまう。簪が再び表舞台に立つのは江戸時代で、中期以降に多彩な髪型が生まれたことに伴って髪飾りとしての需要が急増し、江戸末期には最盛期を迎えて多種多様な意匠が生まれた。なかでも寛政年間(1789〜1801年)ごろに登場した「びらびら簪」は、本体から何本もの鎖が垂れ下がり、その先に蝶や鳥をかたどった飾りが揺れる華やかな作りで、未婚女性の装いとして好まれた。江戸幕府がたびたび出した奢侈禁止令をかいくぐるため、簪に耳かきを付けて実用品を装ったという説が伝わっているのも興味深いところで、贅沢の取り締まりと装う楽しみのせめぎ合いが、簪の意匠を豊かにしてきた面もあるようだ。
江戸つまみ簪という伝統工芸
現在も東京都の伝統工芸品に指定されている「江戸つまみ簪」は、この簪の歴史のなかから生まれた技法のひとつだ。東京都産業労働局の伝統工芸品紹介ページによれば、もとは江戸時代初期に京都で作られていた花びら簪の技法が江戸に伝わり、江戸時代中期には「つまみ細工」として確立された。彩りが美しく、値段も手ごろだったことから江戸みやげとして庶民に親しまれたという。製法は、正方形に裁断した羽二重絹を小さな正方形にたたむ「つまみ」の工程が核になっており、角を丸く仕上げる「丸つまみ」と角を立てて仕上げる「角つまみ」を使い分けながら、ピンセットで一枚ずつ台紙に植えつけ、最後に糸で組み上げて花や鳥の形に仕立てる。台にはツゲやナシといった木材が使われ、造花では出せない重みと生命感のある仕上がりになるのが特徴とされる。手仕事の細やかさが今も評価され、近年は海外からの注文も増えているという。一本の簪の背景に、こうした技術の系譜が息づいていることを知っておくと、髪飾りを選ぶ目も自然と変わってくるはずだ。
髪型と着物の格に合わせた簪の選び方
簪は帯や草履ほど明確な格の序列が確立されているわけではないが、髪型と着物の格に合わせて選ぶという基本の考え方は共通している。振袖のように華やかな第一礼装には、びらびら簪のように揺れる飾りのついた華やかなものや、つまみ細工で作られた大ぶりの花飾りがよく合う。これは未婚女性の礼装に用いられてきた歴史とも重なる選び方だ。一方、留袖や訪問着のような既婚女性の礼装には、鼈甲(べっこう)やパールをあしらった控えめな玉簪、あるいは装飾を抑えた櫛や笄(こうがい)が向いており、街着や普段の装いには、木や陶器でできた素朴な意匠のかんざしが似合う。草履や巾着も含め、和装小物全体に共通していえるのは、着物と帯で格を決めたあとに、それに釣り合う格の小物を足元から頭まで揃えていくという順序だ。逆に、着物は控えめなのに小物だけ礼装用の華やかさで統一してしまうと、装い全体のバランスが崩れて見えることもある。
小物一つひとつに宿る歴史を知って選ぶ
草履は草鞋から、巾着は旅の携行具から、簪は縄文時代の魔除けの棒から、それぞれまったく異なる出発点を持ちながら、長い年月のなかで今の和装小物としての形に落ち着いてきた。台の高さや素材、文様の意味、技法の系譜といった背景を知っておくと、単に「格が高い・低い」という表面的な判断だけでなく、なぜその形や素材が選ばれてきたのかという理由から小物を選べるようになる。もし箪笥の奥に、着物とは別に草履や巾着、かんざしだけが取り残されているようなら、それらも含めて着物買取の査定に出せるかどうか、一度確認してみるのもひとつの整理の仕方だろう。