呉服店で仕立てを頼むと、「裄は1尺8寸、身丈は4尺2寸で」といったやり取りが今も交わされる。日本中の暮らしがとっくにセンチメートルとメートルに切り替わっているのに、なぜ着物の世界だけ江戸時代の物差しが生き残っているのか。実はこの「尺」、一度は法律で使用そのものを禁じられた過去を持つ。禁止令をくぐり抜けてまで和裁の現場に残った物差しの正体と、反物一反がなぜおよそ12メートル50センチなのかという計算のからくりをたどってみたい。
なぜ着物だけ、今も「尺」でサイズを語るのか
体の寸法をセンチメートルで測るのが当たり前になった現代でも、呉服店や和裁の現場では「裄」「身丈」「袖丈」といった着物特有の寸法を、今も尺・寸・分という単位で表すことが多い。しかもややこしいことに、この「尺」には少なくとも二種類があり、大工や建具職人が使う「曲尺(かねじゃく)」と、和裁専用に使われる「鯨尺(くじらじゃく)」とでは、同じ一尺でも実際の長さが違う。日常生活からはとっくに姿を消したはずの単位が、なぜ着物の仕立てだけには今なお現役で使われ続けているのか。この謎を解く鍵は、鯨尺という物差し自体の成り立ちと、昭和に起きたある「単位をめぐる攻防」にある。
鯨尺は曲尺の1.25倍――「鯨」の名は鯨のひげに由来するという説
尺貫法についての解説によれば、曲尺の一尺は約30.3センチメートル(正確には10/33メートル)で、これは建築や大工道具で使われてきた基準の物差しだ。一方の鯨尺は一尺が約37.9センチメートル(25/66メートル)で、曲尺に換算すると一尺二寸五分、つまり曲尺の1.25倍にあたる。なぜ「鯨」という名がついたのかについては、しなやかで折れにくいクジラのひげ(鯨骨)を薄く削って物差しに用いたことに由来するとする説が広く知られているが、辞典類でも起源は定かでないと断られており、確定した由来というより有力な俗説にとどまる。使われ始めた時期についても正確な記録は乏しいが、室町時代末期にはすでに一尺二寸の「呉服尺」という物差しが存在していたとされ、鯨尺はそこから発展したものと考えられている。江戸中期の儒学者・太宰春台が著した経済書『経済録』(1729年刊)には「婦人衣服を裁つのに是を用ふ」という記述があり、少なくとも18世紀前半には、女性の着物を仕立てる際の標準的な物差しとして鯨尺が定着していたことがうかがえる。
一反はなぜ「12メートル50センチ」なのか――着物一着分の計算
着物一着を仕立てるための反物は「一反」という単位で数えられる。国立国会図書館のレファレンス事例によれば、着尺の一反は鯨尺で幅およそ一尺(約37~38センチメートル)、長さはおよそ12メートル50センチが標準的な目安とされる。資料によっては「長さ二丈六尺~二丈八尺程度」という幅を持たせた説明もあり、時代や産地、生地の種類によって多少の差があったことがわかる。この長さは根拠のない数字ではなく、着物の仕立て方と密接に結びついている。着物は洋服のように体の曲線に合わせて生地を裁ち落とすのではなく、身頃・衽・衿・袖といったパーツを直線的に裁ち、縫い代を折り込む形で仕立てる。この直線裁断という仕立て方に沿って各パーツを無駄なく配置していくと、成人一人分の着物がちょうど一反の反物で仕立てられるように、古くから寸法の目安が調整されてきた。つまり「反物」という単位そのものが、最初から「大人一人分の着物」を前提に設計された、実用に根ざした単位だと言える。もっとも、この長さはあくまで普段づかいの着物を想定した目安にすぎない。訪問着や留袖のように裾回し(八掛)を表地とそろいで仕立てる礼装用の着物では、通常の着尺(三丈物)よりも長い「四丈物」と呼ばれる反物があらかじめ用意されており、格や用途に応じて反物の長さそのものが変わってくる。裁ち方だけでなく、反物という単位の長さ自体に、着物の用途と格を織り込む発想が組み込まれているわけだ。
1959年、鯨尺は法律で「使えない物差し」になった
1891年(明治24年)に制定された度量衡法では、尺貫法とメートル法の併用が認められており、鯨尺や曲尺は依然として公式に通用する単位だった。しかし1921年(大正10年)の改正でメートル法を正式な基準とする方針が固まり、戦後に制定された計量法によって、国立国会図書館のレファレンス事例にある通り、1958年(昭和33年)12月31日限りで、取引や証明における尺貫法の使用が禁止されることになった。土地や建物の取引については1966年(昭和41年)3月31日まで猶予が設けられたが、それ以外の分野では翌1959年(昭和34年)1月1日からメートル法への一本化が完全実施され、違反した場合には50万円以下の罰金という明確な罰則も定められた。実際、メートル法が完全実施された後には、尺貫法の物差しを使い続けていた大工などが摘発される事例も起きたとされる。江戸時代から日常のすみずみまで浸透していた尺貫法は、この時点でひとまず公式には「過去の単位」として扱われることになった。
それでも鯨尺が生き残った理由――「メートル法の物差し」という抜け道
建前としては使用が禁じられたはずの尺貫法だが、和裁の現場では鯨尺の物差しや反物の寸法表記が今も当たり前のように使われている。日本のメートル法化の経緯を解説したWikipediaによれば、これは1977年(昭和52年)以降、目盛りを尺・寸ではなく「1/33メートル」や「1/26.4メートル」といった分数表記にした計測器が登場し、実質的には曲尺・鯨尺とまったく同じ間隔の目盛りでありながら、あくまで「メートル法の範囲内の表記」として合法的に製造・販売できるようになったためだ。尺や寸という文字そのものを使わず、メートルの端数として届け出ることで、和裁道具としての物差しは法律の枠内で生き延びた格好になる。放送作家として知られた永六輔が「尺貫法復権運動」を展開したことも当時話題になったとされ、単位そのものへの愛着や、和裁の現場での実用上の必要性が、一度は禁止された物差しを現在まで生かし続ける原動力になったとみられる。今、手芸用品店や呉服店で売られている「鯨尺物差し」の多くは、目盛りの脇にセンチメートル換算の数値も小さく併記されており、尺・寸の感覚とメートル法の感覚を橋渡しする道具として、静かに実用され続けている。
尺の物差しを知っておくと、着物との付き合い方が変わる
呉服店や仕立て屋で「裄は1尺6寸5分でお仕立てします」と言われても、鯨尺のおおよその換算を知っていれば、それが62センチメートル前後の寸法だとすぐに見当がつくようになる。母や祖母から譲り受けた着物に、寸法を尺で書き記した紙が一緒に保管されていることも珍しくなく、その数字を読み解けるかどうかで、今の自分の体格に合うかどうかを判断しやすくなる場面もあるはずだ。長さの単位ひとつを取っても、江戸から続く職人の工夫と、一度は消えかけた文化を守ろうとした昭和の攻防が、静かに刻み込まれている。手元の着物の寸法が尺でしか記されておらず扱いに迷うときは、その数字を仕立て直しの目安にするのも一つの方法だし、着られる見込みが立たないまま保管が負担になっているなら、着物買取に相談して次の行き先を考えてみるのも選択肢のひとつだろう。