着物姿の衿元からわずかに覗く、白や色柄の布に目を留めたことがある人は多いだろう。あれは着物本体でも長襦袢そのものでもなく、「半衿」と呼ばれる別パーツだ。なぜ着物の下にはわざわざもう一枚布を重ね、さらにその衿にまで別布を足すのか。この二重三重の構造をたどっていくと、汗や皮脂から着物を守る実用的な工夫と、江戸から続く装いの美意識が同居していることが見えてくる。
「じゅばん」という言葉は、南蛮貿易が運んできた
着物の下に着る「襦袢」という呼び名は、一見すると古くからの和語のように思えるが、実は外来語に由来する。Wikipediaの襦袢の項目によれば、「襦袢」はポルトガル語の「ジバゥン(gibão)」を音写した語で、さらにさかのぼると古いイタリア語の「gibbone」、すなわち首から腰までを覆う衣類を指す言葉に行き着くという。16世紀、南蛮貿易を通じて日本にもたらされた品物や言葉の一つが、そのまま着物の下着の名前として定着し、四百年以上たった今も使われ続けている。ポルトガル語やオランダ語由来の言葉が生活に溶け込んだ例は「合羽」や「金平糖」など他にもあるが、和装の根幹を支える語がその一つだったという点は、意外に知られていない。
長襦袢を最初に着たのは、遊女だったという説
今でこそ長襦袢は着物を着る際の標準的な下着だが、江戸時代前期までは「半襦袢」こそが正式な襦袢と考えられていたという。Wikipediaの襦袢の項目は、長襦袢について「もともと遊女の考案によるもので、遊廓で部屋着に近い使い方をしていたもの」と説明している。裾までを覆う華やかな長襦袢は、まず遊廓という特殊な場から生まれ、やがて商人などの町人層にも広まっていったが、公家や武家のあいだで正式な装いとして着用されることはなかったとされる。仕立て方にも系統があり、衽のように立った衿を持つ「関西仕立て」と、衿ぐりまで一続きの布で仕立てる「関東仕立て」に分かれてきたが、現在は着丈を体に合わせて対丈で仕立て、胴部分の生地を省いて軽くする「対丈・胴抜き仕立て」に、袖を二重にした「無双袖」を組み合わせた形が主流になっている。遊女の部屋着から始まった衣服が、時代とともに仕立ての合理化を重ねて今の形に落ち着いたわけだ。
半衿は、なぜ「半分の衿」と呼ばれるのか
Wikipediaの半衿の項目によれば、半衿とは長襦袢の衿に縫い付ける替え衿のことで、その長さが本来の衿の半分程度であることが名前の由来とされる。もともとの役割は、埃や皮脂、鬢付け油といった汚れから長襦袢そのものを守ることにあった。長襦袢は絹などの繊細な生地で仕立てられることが多く、着るたびに洗い張りへ出すわけにはいかない。そこで衿という肌に直接触れる部分だけを取り外し可能な別布にし、汚れたら半衿だけを付け替えれば済むようにしたのだ。着物本体を汚れから遠ざけ、さらにその内側の長襦袢まで守るという発想が、半衿という小さなパーツを生み出したことになる。もっとも現在ではこの実用性よりも装飾性のほうが重視されるようになり、同項目には刺繍を施した半衿の中には数十万円近い価格帯のものも存在すると記されている。数センチの布に、実用と贅沢の両方が詰め込まれているのが半衿だ。
白い半衿が主流になった、思いがけない歴史的事情
今でこそ女性の半衿は白が定番という印象が強いが、これは自然に定着した好みではなく、ある法令がきっかけだったとされる。Wikipediaの半衿の項目によれば、戦前の女性向け半衿は「色衿や刺繍衿が中心」だったが、Wikipediaの解説にある通り、1940年7月6日に発布され翌7日に施行された「奢侈品等製造販売制限規則」、通称「七・七禁令」をきっかけに白衿への移行が進んだという。この規則は不急不用品や贅沢品、規格外品の製造・加工・販売を禁じるもので、高まっていた庶民の反感をなだめつつ、戦時下で華美な装飾を抑え込む狙いがあったとされる。華やかな刺繍半衿が姿を消し、代わりに白衿が広まったという経緯は、いまの「礼装には白」という常識が、もとをたどれば戦時統制の副産物だったことを物語っている。現在は多様な色や柄の半衿が売られているが、赤い衿は少女向けとされ、既婚女性は赤やそれに近い色を避けたほうが無難とされる慣習も残っている。
男性の半衿にも、独自の色文化がある
半衿の色分けは女性だけの話ではない。Wikipediaの半衿の項目によれば、男性向けの半衿は「粋好みの黒」が最も多く、続いて上品な薄水色、灰色、茶色、深緑、藍など、落ち着いた色合いのものが中心とされる。紋付羽織袴のような礼装には現在白無地が一般的だが、興味深いことに昭和初期までは男性の礼装であっても薄水色や薄灰色が主流だったという。女性の半衿が戦時統制を経て色物から白へと移っていったのとは逆に、男性の半衿は時代が下るにつれて白へと収斂していった格好で、同じ「白が正式」という現在の常識でも、そこにたどり着いた経緯は男女でまったく違っていたことになる。小さな衿一枚の色にも、性別や時代によって異なる価値基準が反映されてきたわけだ。
半衿の生地を替えるだけで、季節も装いの格も動かせる
半衿は色柄だけでなく、生地の選び方にも季節と格の目安がある。カジュアルからフォーマルまで幅広く使われる主流の生地は塩瀬羽二重で、縮緬もカジュアルなものから改まった席向けまで種類が豊富だ。普段づかいには汚れに強く丈夫な木綿が選ばれることも多く、近年は洗える化学繊維のポリエステルも広く出回っている。夏場には絽や紗、麻といった透け感のある生地に替えるのが基本とされ、模様も季節に合わせたものを選ぶのが原則とされている。長襦袢そのものを何枚も揃えるのは費用も手間もかかるが、半衿という比較的小さな布地一枚を季節や場面に応じて替えるだけで、装いの表情や格を調整できる。これは、着物一式を丸ごと新調しなくても装いの幅を広げられる、江戸から続く合理的な工夫だと言える。
衿元の小さな一枚に、暮らしの知恵が詰まっている
南蛮貿易が運んできた「じゅばん」という言葉、遊女の部屋着から広まった長襦袢、汚れよけの実用品から装飾品へと役割を広げた半衿、そして時代ごとの法令や慣習によって色が移り変わってきた歴史――衿元をたどるだけで、和装のさまざまな時代の事情がいくつも重なり合っていることがわかる。半衿は針と糸さえあれば自分で付け替えられる身近な存在で、季節や場面に合わせて一枚を選び直すだけで装いの印象をがらりと変えられる、もっとも手軽な和装小物でもある。一方で、その内側にある長襦袢や、母や祖母から受け継いだものの出番を失っている着物一式をどう扱うか迷ったときには、着物買取という窓口で今の価値を確かめてみるのも一つの手だろう。