成人式や結婚式で振袖姿を見ていると、衿元にもう一色、淡い色がのぞいているのに気づくことがある。多くの人はそれを「重ね衿」というアイテムの飾りとして知っているだけで、その色使いの発想がどこから来ているのかまでは意識しないだろう。実はこの「色を重ねることで美しさを生む」という発想には、平安時代の宮中で体系化された「かさねの色目」という、驚くほど精緻な配色文化がルーツにある。数字や史料をたどりながら、その仕組みと現在への続き方を見ていきたい。
平安貴族が磨いた「色目」という美意識
Wikipediaの色目の項目によれば、色目とは十二単などの装束における色の組み合わせ全体を指す言葉で、衣を表裏に重ねるもの、複数の衣を重ねるもの、経糸と緯糸の違いによって色が変わって見えるものなど、いくつかの種類がある。その中でも代表的なのが、衣を表裏に重ねて配色する「襲の色目」だ。同項目には、色目は平安時代中期にはすでに確立しており、『源氏物語』や『枕草子』にもその名が登場すると記されている。当時の貴族女性は、女房装束と呼ばれる何枚もの袿(うちき)を重ね着する装いをまとい、その表と裏、あるいは衣同士が重なる部分の配色によって季節感や教養、美意識までも表現していた。組み合わせの一つひとつには固有の名前が付けられており、思いつきの色合わせではなく、体系立てられた文化として受け継がれてきた点が、この配色美学の大きな特徴だといえる。なお色目には表裏を重ねる襲の色目のほかに、経糸と緯糸に異なる色の糸を使うことで角度によって色合いが変わって見える「織り色目」と呼ばれる種類も存在しており、平安貴族が布地の色をいかに多角的に楽しんでいたかがうかがえる。
五衣を透かして生まれる、混じり合う色 ― 「襲の色目」の仕組み
襲の色目は、女房装束の中でも「五衣(いつつぎぬ)」と呼ばれる、袿を五枚ほど重ねて着る装いで特によく使われた組み合わせだとWikipediaの襲の色目の項目は説明している。当時の絹は薄く仕立てられており、下に着た衣の色が上の衣を通してほんのりと透けて見えたため、二色を単純に並べたときとは違う、混じり合うような独特の色調が生まれた。政府広報オンラインの記事では、白い表地の下に赤い裏地を重ねることで桜色のような柔らかな色合いを表現した「紅の匂」という色目が紹介されており、政府広報オンラインの記事ではこの透け感を生かした配色の工夫が解説されている。同様に「松重」は「蘇芳・淡蘇芳・萌黄」という三色を重ねた色目で、松の葉の濃淡と若芽の萌黄色を表現したと伝えられる。色目の記録は「表の色(裏の色)」という形で色を並べて書き表す独自の記法を持ち、この書き方は後世の史料にもそのまま受け継がれている。
100種類を超える色目と、季節が定めた着用のルール
襲の色目には100種類を超える配色パターンが伝わっているとされる。重要なのは、これが単なる好みの色合わせ帳ではなく、季節や行事に応じて着用する時期まで細かく定められていたという点だ。政府広報オンラインの記事では、紅梅の花を思わせる「紅梅匂」が早春の祝いの場にふさわしい配色として紹介されている。Wikipediaの襲の色目の項目に整理された時期区分を見ると、五節の頃から春にかけては「紫の匂」のような色目が、十月以降の秋には「白菊」「黄菊」など菊にちなんだ色目が、四月の衣替え以降の夏には「菖蒲」「藤」のような色目が、それぞれふさわしいものとして用いられたことが分かる。つまり平安貴族にとって、どの色目を身にまとうかは、今日でいう暦やドレスコードに近い社会的な決まりごとでもあった。季節にそぐわない色目をまとうことは、教養や品位を疑われることにもつながったと考えると、この配色文化がいかに厳格に運用されていたかが伝わってくる。
記録に刻まれた配色のルールブック ―『満佐須計装束抄』
色目の名前と実際の配色の対応関係は、公家社会の先例や作法を体系化した学問である有職故実(ゆうそくこじつ)の一分野として扱われ、江戸時代にかけてさらに整理が進められたと、Wikipediaの色目の項目は伝えている。その代表的な文献の一つが、平安時代末期に成立したとされる『満佐須計装束抄(まさすけしょうぞくしょう)』だ。Wikipediaの満佐須計装束抄の項目によれば、作者は源雅亮と伝わるものの、江戸時代の有職家・野宮定基がその帰属に疑問を呈するなど、成立の詳しい事情には不明な点も残るという。同書には五節の童女や下仕えの装束に関する記述が特に詳しく残されており、女房装束の衣の重ね方についての貴重な手引きとなっている。ただし色目の名前と組み合わせの対応関係には、有職故実家によって若干の違いがあったこともWikipediaの色目の項目には記されており、一つの「正解」が固定されていたわけではなく、時代や流派によって解釈に幅があったことも興味深い点だ。
平安の配色美学は、令和のデザインにも受け継がれている
千年前に体系化されたこの配色文化は、過去の遺物として忘れられたわけではない。Wikipediaの襲の色目の項目によれば、2020年の東京オリンピック・パラリンピックのコアグラフィックスでは、藍・紅・桜・藤・松葉という五色それぞれに、かさねの色目にならった同系色6色ずつが配色として採用されたという。国際的な大会の視覚デザインに、平安貴族の色彩感覚がそのまま生かされたことになる。現代の着物や振袖のコーディネートでも、衿元にもう一色を重ねて見せる「重ね衿」や、一枚の生地の中で色を滑らかに変化させる「ぼかし染め」といった技法に、色の重なりや透け感で季節感を演出するという、かさねの色目に通じる発想を見て取ることができると語られることも多い。着物を選ぶとき、柄だけでなく色の組み合わせにも目を向けてみると、そこに平安の昔から続く配色の物語が重なっていることに気づくはずだ。
色の記憶を、次の一着へ
「かさねの色目」は、単なる古典の知識としてではなく、日本人が千年以上前から培ってきた色彩感覚の土台として、今も様々な形で生き続けている。手持ちの着物や帯を眺めるとき、その色合わせがどんな季節や場面を意識して選ばれたものなのかを想像してみると、これまでとは違った愛着が湧いてくるかもしれない。たとう紙にしまったままの一枚であっても、色の名前やその由来をたどってみるだけで、単なる「古い着物」から「物語を背負った一枚」へと見え方が変わってくることもあるだろう。逆に、長くしまったままで袖を通す機会が見えない着物であれば、その色や柄に込められた価値を専門的に見極めてくれる着物買取という選択肢を検討してみるのも、一つの向き合い方だろう。