振袖姿の後ろ姿に見とれたとき、目を引くのはたいてい大きく膨らんだお太鼓の柄行きで、その結び目自体に名前があり、しかも格まで決まっていることに気づく人は少ないのではないだろうか。帯の結び方は数十種類あるとも言われ、それぞれがどんな時代に、どんな身分や年代の人のために生まれたのかを知ると、装いの見え方が少し変わってくる。ここでは代表的な結び方をいくつか手がかりに、帯を「結ぶ」という行為が日本でどのように今の形へたどり着いたのかをたどってみたい。

帯はいつから、これほど大きく結ぶものになったのか

Wikipediaの帯の項目によれば、江戸時代初期までの帯は幅10センチメートル程度の細いもので、着物の打ち合わせを固定するという、あくまで実用のための道具にすぎなかったという。ところが太平の世が長く続き、装いの華美さを競う風潮が強まるにつれて、女性の帯は時代を追うごとに幅も長さも大きくなっていった。その象徴といえるのが丸帯で、Wikipediaの丸帯の項目によれば、江戸中期に女性の髪型が大きく結い上げられるようになったことに合わせて礼装用の帯幅や帯結びも大きくする必要が生じ、幅約70センチ、長さ4メートル36センチ以上もの生地を二つ折りにして仕立てるという贅沢な帯として考案されたとされる。これほど大きく重くなった帯は、ただ胴に巻いて結ぶだけでは形が定まらず着崩れてしまう。美しく安定させて見せるための独自の「結び方」という技術が発達していったのは、いわば帯そのものの巨大化がもたらした必然だったといえる。

お太鼓結びという名前は、どこから来たのか

今日、礼装から普段着まで最も広く使われている結び方がお太鼓結びだ。名前の由来としてよく語られるのが、江戸時代後期、亀戸天神にあった太鼓橋にまつわる話で、満月のように大きく弧を描くこの名物の橋を祝う席で、周辺の芸者衆が帯をその丸みに見立てて結んでみせたのが始まりだと伝えられている。もっとも、この逸話は紹介する書籍や着物専門店によって年代や登場人物の描かれ方が微妙に異なっており、確かな一次資料に基づく定説というより、広く語り継がれてきた俗説の域を出ない点には注意しておきたい。はっきりしているのは、帯の背中側にできる四角い膨らみが太鼓橋のふくらみを思わせる形であること、そしてこの結び方が明治以降、丸帯や袋帯を美しく見せる標準的な結び方として定着していったことである。

二重太鼓と一重太鼓 ― 「重なり」に込められた意味

お太鼓結びには、帯を一重に巻いて結ぶ一重太鼓と、たれの部分をもう一重折り重ねて結ぶ二重太鼓の二種類がある。二重太鼓は主に袋帯を使い、背中にできる膨らみが二重になるため、慶びが重なるようにという意味合いが込められているとされ、留袖や振袖といった慶事の礼装、フォーマルな場面で選ばれることが多い。一方、名古屋帯や半幅帯で結ぶことの多い一重太鼓は、輪がひとつで仕立ても簡単なぶん、普段着や街着など格を抑えた装いに向く。同じ「太鼓」という名前を持ちながら、輪の数がひとつ増えるだけで格がはっきり変わってしまうというのは、「重ね」という言葉に縁起を見出す日本語の感覚が、帯結びの技術そのものにまで反映された例だといえるだろう。

文庫結びに息づく、武家の女性たちの格式

Wikipediaの文庫結びの項目によれば、文庫結びは江戸時代に武家の女性たちが基本としていた帯結びで、格調の高さを備えた結び方として伝えられてきたという。女言葉では「お文庫」とも呼ばれ、帯を体に巻いたあと正面で両端を交差させ、長い方を屏風畳みにして羽根を作り、短い方でその中心を留めて背中に回すという工程で仕上げる。完成した形はリボンに似ており、若い女性向けに結ぶほど左右の羽根を長く取る傾向がある。振袖の帯結びとして今も根強い人気があり、片方の垂れを長く取る「しだれ文庫」、羽根を花の形に整える「片花文庫」など、武家の格式を出発点にしながら現代の感性で自由にアレンジされたバリエーションが次々と生まれている。

大正時代に生まれた新顔、名古屋帯という発明

丸帯や文庫結びが江戸期の格式を背負っているのに対し、名古屋帯はかなり新しい存在だ。Wikipediaの名古屋帯の項目によれば、考案の経緯には複数の説があり、大正3年頃に名古屋の帯仕立て職人らが考案したとする説や、名古屋女学校の創始者が考案し松坂屋が大正13年から「名古屋帯」の名で売り出したとする説などが伝わっているが、確実なことは今も分かっていないという。当初は重厚な丸帯に比べて簡素な仕立てであることから「田舎帯」と揶揄されたというが、1923年の関東大震災を経て人々の暮らしぶりが大きく変わり、安価で締めやすい名古屋帯が急速に支持を広げていった。重く仕立てに手間のかかる丸帯から、実用性を優先した名古屋帯への移行は、結び方の流行というより、災害を機に暮らしの価値観そのものが変わった歴史の縮図として読むこともできる。

貝の口という、男の帯結びの実用美

お太鼓や文庫が女性の装いを彩ってきたのに対し、男性の角帯や、女性が浴衣や普段着に用いる場面で古くから親しまれてきたのが貝の口結びだ。結び上がりが平たく引き締まった形になり、そのシルエットが二枚貝の口元に似ていることから、この名がついたとされる。お太鼓のように背中に大きな膨らみを作らないため着崩れがしにくく、体を大きく動かしても緩みにくいという実用性の高さが特徴で、日々働く職人や町人の暮らしに根づいてきた結び方だと考えられている。前と後ろを逆にして結び直せば表裏で違う色柄を見せられるという工夫もあり、装飾を競う女性の帯結びとは対照的に、動きやすさと締め心地を優先して磨かれてきた結び方だといえる。現在でも祭りの半纏や浴衣を着る際の定番として広く使われており、飾り気のなさそのものが、この結び方の魅力になっている。

結び目の由来を知ってから、帯を見直してみると

丸帯の重厚さ、太鼓橋の言い伝え、武家の女性が守った文庫の格式、震災を経て広まった名古屋帯の合理性、そして職人が支えてきた貝の口の実用美。ひとつの結び方をたどるだけでも、そこには時代背景や暮らしの変化が幾重にも重なっている。同じ帯でも結び方ひとつで格や印象がまるで変わってくることを知ると、次に着物姿を目にしたとき、柄や色だけでなく背中の結び目にも自然と目が行くようになるはずだ。逆にいえば、手持ちの帯や着物がどの結び方を想定して仕立てられたものかを知るだけでも、タンスの中身の見え方は変わってくる。もし結ぶ機会のないまま眠っている帯や着物があれば、その由来ごと次の使い手に引き継ぐ手段として、着物買取という選択肢を思い出してみてもよいかもしれない。