呉服店で「こちらは小紋なので普段着向きですね」と説明された次の瞬間に、隣にある別の小紋を指して「これは一つ紋を入れれば色無地格の準礼装になりますよ」と言われ、同じ「小紋」という括りの中になぜこれほどの格差があるのか戸惑った経験はないだろうか。柄の格は、文様そのものが持つ意味だけでなく、柄がどう配置されているか、どんな技法で描かれたか、そしてその柄がどんな社会階層のどんな場面で生まれたかという成り立ちによっても大きく左右される。文様の意味を知るだけでは見えてこない、格を分ける具体的な仕組みをたどっていきたい。
柄の格は「意味」だけでなく「配置」「技法」「由来」の積み重ねで決まる
着物の柄というと、松竹梅や七宝のように込められた意味の吉凶で格が決まると思われがちだが、実際にはそれだけでは説明がつかない場面が多い。同じ「縁起の良い柄」でも訪問着に使われれば格が高く扱われ、浴衣に使われればカジュアルに扱われるように、格は柄の意味そのものより、その柄がどのように配置され、どんな技法で仕立てに落とし込まれ、どのような社会の中で育ってきたかという背景の掛け合わせで決まっている。ここでは配置の違いを起点に、格式の高い柄として知られる御所解文様、異国から渡ってきた更紗、そして庶民文化から生まれながら格を勝ち取った江戸小紋という三つの実例を通して、格を分ける具体的な条件を見ていきたい。
柄の「配置」による格差――絵羽・総柄・一つ柄の違い
訪問着や留袖の柄は、白生地をいったん着物の形に仮縫いしてから下絵を描き、それをほどいて反物のまま染め上げる。そのため肩や袖、身頃の縫い目をまたいで模様が一枚の絵のようにつながる「絵羽模様」になり、仕立てには相応の手間と技術がかかる。これに対して、型紙で同じ柄を反物全体に連続して染めていく配置は、柄の向きがそろわず縫い目でもつながらないため、量産に向く反面で格は一段落ちる。柄を飛び飛びに配置する「飛び柄」や、衿もとや裾など一箇所だけに柄を置く「一つ柄」も、仕立ての自由度や生地の節約を優先した配置であり、絵羽模様に比べると格式は控えめになる。柄そのものの意味以前に、どれだけ手間をかけて柄を配置しているかという一点が、格の土台になっていることがわかる。
御所解文様――武家女性の教養と刺繍が支えた格式
Wikipediaの御所解の項目によれば、御所解文様は四季の草花を細やかに描き、その合間に御所車や扇、柴垣など『源氏物語』をはじめとする王朝文学や能に頻出する事物を配するのが特徴の文様で、着物がどの物語を主題にしているかを見立てることも教養の一部とされていた。「御所解」という呼び名自体は明治時代以降に付けられたもので、幕末から明治維新にかけて武家女性の間で好まれていた柄が庶民へも広がっていく過程で名付けられたという。当初は身分の高い武家婦人、なかでも大奥や大名家に仕える御殿女中が好んだ柄とされ、刺繍を主体に仕立てられていたため制作にも費用にも手間がかかり、庶民には容易に手が届かないものだった。物語を読み解く教養と刺繍という高価な技法の両方を背負っていたことが、御所解文様が現在も訪問着や留袖など礼装に用いられる格の高い柄として扱われている理由になっている。
更紗――海を渡ってきた柄が、格を持てなかった理由
Wikipediaの更紗の項目によれば、更紗はインドを起源とする、木綿地に多色で文様を染めた布のことで、日本には17世紀以降、南蛮船やオランダ・イギリスの東インド会社の貿易船によってもたらされたとされる。文献上の初見は1613年、平戸に入港したイギリス東インド会社の司令官ジョン・セーリスが火薬や鉄砲、ワインとともに更紗を領主へ贈ったという記録で、以来更紗は茶人や大名など一部の富裕層の間で珍重される舶来品となった。1778年には更紗の見本帳『佐良紗便覧』が刊行されており、この頃には愛好家の間でかなり広く知られる存在になっていたことがうかがえる。ただし更紗は当初、男性の下着や女性用の帯といった小物に使われることが多く、格式を定める公家や武家の儀礼とは接点を持たないまま日本に根づいた文様だった。この出自のため、更紗は「異国風の柄」という独特の個性を保ちながらも、御所解文様や有職文様のような格式の高さを持つには至らず、現在もカジュアルな装いに用いられる柄として親しまれている。
江戸小紋――柄の精緻さで格を積み上げた異色の存在
本来「小紋」は柄に上下の向きがなく、生地全体に同じ模様を繰り返し染めるという配置の性質上、格としては普段着に位置づけられる技法である。ところが江戸小紋だけは事情が異なる。東京都産業労働局の解説によれば、江戸小紋は室町時代に発祥し、江戸時代初期、諸大名が江戸に藩邸を構えて武士の人口が増えるなかで、各藩の武士が裃に細かい文様を染め分け、いわば藩ごとの標識として使い分けたことから発展したという。代表的な柄のひとつ「極鮫」は、わずか3センチ四方に千個もの点を滲みなく染め抜くという、極めて高度な型彫りと染めの技術を必要とする。江戸中期以降は町人文化の広がりとともに庶民の間にも普及したが、鮫小紋や角通し、行儀といった特に精緻な柄には、一つ紋を添えることで色無地に近い格として扱われる慣習も残っている。柄の意味や由緒ではなく、柄を彫り染める技術の精緻さそのものが格を積み上げてきたという点で、江戸小紋は他の格の高い柄とは異なる成り立ちを持っている。
柄の生まれた場所を知ると、簞笥の中の一枚が違って見えてくる
格の高い柄とカジュアルな柄を分けているのは、模様の華やかさや複雑さではなく、どんな配置で仕立てられ、どんな技術が注ぎ込まれ、どのような社会の中で育ってきたかという背景の積み重ねだった。公家や武家の女性の教養と手間を映した御所解文様、異国から渡り小物にとどまった更紗、庶民の文化の中で技術の精緻さによって格を勝ち取った江戸小紋。それぞれの成り立ちを知ってから改めて手元の着物を眺めてみると、これまで気づかなかった価値や由来が見えてくることもあるはずだ。柄の由来を踏まえて簞笥の中を見直したときに、着る機会のないまま眠っている一枚に気づいたなら、着物買取に相談して次の持ち主へ託すという形で活かす道もある。