着付け教室の初回レッスンで、タオルを何枚も体に巻きつけるよう指導されて面食らったという声はよく聞く。帯や柄を美しく見せる工夫だとばかり思っていた着物の着付けに、こんな地味な下準備が必要だとは想像していなかったからだ。

半日ほど着物で過ごすと衿元が緩み、おはしょりが崩れてくるのも、着た人なら一度は経験している。この崩れは単なる不注意の結果ではない。

着物という衣服そのものの構造と、1300年前に定められたある法令が、崩れやすさの原因を作っている。

右前という作法はいつ、なぜ生まれたのか

着物を着るとき最初に教わる基本作法が、自分の右手側の身頃を先に体に沿わせ、その上に左側の身頃を重ねる「右前」という衿の合わせ方だ。この作法、古来ずっと変わらなかったわけではない。国立国会図書館のレファレンス協同データベースによれば、古墳時代の人物埴輪には左衽・右衽の両方が見られ、統一されていなかった。飛鳥時代に入っても状況は変わらず、高松塚古墳壁画の人物像は左衽で描かれている。つまり奈良時代に入るまで、日本人は衿をどちらに合わせるかについて、これといった決まりを持っていなかった。

この状態を一変させたのが、701年の大宝令だ。同資料によれば、大宝令は男性の盤領・女性の垂領いずれについても「右衽にせよ」と明示した。それでも身分や地域による揺らぎは残ったらしく、養老3年(719年)2月3日、『続日本紀』に「初令天下百姓右襟」という一文が記される。読み下せば「初めて天下の百姓に右襟(右前)を命じた」という意味で、庶民が普段着ていた原始的な小袖の垂領にまで、右前を義務づける命令が下ったことになる。身分の高い者だけでなく、国中の誰もが同じ向きで衿を合わせる。これが、今も着付け教室で最初に教わる作法の起点だ。

「盤領」と「垂領」、大宝令が定めた二つの衿の形

大宝令が「右衽にせよ」と命じた対象は、実は一種類の衿ではない。男性の正装は「盤領(まるえり)」と呼ばれる、詰襟に近い丸い衿で、これは大陸から伝わった官人の服制に連なる形だ。一方、女性や庶民が日常でまとっていたのは「垂領(たりくび)」、現在の着物にそのまま通じる、V字に打ち合わせる衿の形になる。国立国会図書館のレファレンス協同データベースによれば、大宝令はこの二種類の衿それぞれについて右衽を義務づけており、養老3年の追加の命令は、垂領の中でもさらに簡素な「原始的小袖」、つまり身分の低い者や庶民が着ていたものにまで対象を広げた点に意味がある。盤領という身分の高い者の正装から、垂領という庶民の普段着まで、段階を踏んで規制の網を広げていった経緯が、二つの言葉の違いから読み取れる。

なぜ律令国家は、衿の合わせ方まで法律で決めたのか

右衽と左衽の対比自体は、日本が独自に生み出したものではない。古来、中国の漢民族の衣服は右衽、その周辺にいた遊牧民族の衣服は左衽とされ、どちらの衿を上に重ねるかが、文化的な帰属を示す記号として機能していた。大宝律令は、7世紀を通じて遣隋使・遣唐使が持ち帰った中国文明への理解を土台に編まれた法典で、衣服に関する規定も儀式・制度上の礼儀を定める「儀制令」の一部に組み込まれていた。天皇を中心とする中央集権体制を固めようとしていたこの時期の朝廷にとって、着る物の向きを国中で統一するという作業は、単なる身なりの指導ではなく、律令国家という新しい秩序そのものを民衆の身体感覚に刻み込む手段の一つだったと見てよい。誰が見ても分かる形で「同じ国の民である」ことを示す記号を、衿元という日常の細部に埋め込んだわけだ。もっとも、死者の装束を左前にする風習が今も広く知られているが、これは逆の合わせ方をすることで日常と非日常を分けるためだとする説が伝わる程度で、起源が一つに定まっているわけではない。

着物が体に沿わない理由 ― 直線裁ちという仕立て思想

洋服の仕立てでは、体の凹凸に合わせて布を曲線状に裁ち、ダーツを入れて立体的な形を作る「立体裁断」が基本になる。ところが和裁はまったく逆で、反物をすべて長方形のパーツのまま用いる直線裁ちが基本だ。Wikipediaの和裁の項目によれば、この構造は型紙を使わずに布目に沿って正確に裁断できるという利点に加え、「ほどくことを前提に縫う」という設計思想に根ざしている。手縫いを基本とするため、ミシン縫いのように縫い目の跡が残らず、後から仕立て直しがしやすい。縫い代を切り落とさずに残すため、体型の変化に応じて袖丈や身丈、身幅を調整できる融通性も生まれる。これが、親から子へ、体格の違う人同士で着物を譲り受けられる理由になっている一方で、代償もある。着物という衣服そのものが、特定の体の凹凸に合わせて作られていないのだ。だからこそ、着る側の体を着物の直線的な形に近づける工程が必要になる。

補正はなぜ必要なのか ― 凹凸をならして寸胴に近づける

直線裁ちの着物を美しく着るには、体の凹凸をできるだけ平らにならし、寸胴に近い形に近づけることが求められる。ウエストのくびれや胸の膨らみ、腰の張りがそのまま残っていると、生地が体の曲面に押されてしわや隙間ができ、衿元や衽(おくみ)のラインが乱れやすくなる。補正で使うのは主にタオルや綿、和装用のパッドで、鎖骨の下や胸の脇、ウエストのくびれ、腰の左右など、へこんでいる部分に厚みを足していく。なで肩の人は肩に薄いパッドを入れ、いかり肩の人はそのまま――体型によって当てる場所や量も変わる。補正は着姿を人工的に着飾るための工程ではない。直線的に裁たれた一枚の布を、体という立体にできるだけ無理なく沿わせるための橋渡しだ。

着崩れが起きやすい三か所と、その場での直し方

着崩れは体を動かすたびに少しずつ進む。代表的に乱れやすいのは衿元・おはしょり・裾の三か所で、これは偶然ではない。着物という一枚の布は、腰紐・伊達締め・帯という何本もの紐と帯で体に固定されているだけで、洋服のように縫い目やボタンで体に留められているわけではない。歩く・座る・腕を上げるという動作のたびに生地が引っ張られる方向が集中するのが、まさにこの三点になる。衿元は歩行時の腕の振りと呼吸のたびにわずかに緩み、その緩みは繊維同士の摩擦だけでは止められない。おはしょりは着物の重み全体が下方向にかかる場所であるため、体を動かすほど重力に負けて垂れてくる。裾は歩幅の分だけ生地同士が擦れ合い、直線裁ちで縫われた身頃と衽(おくみ)の境目から少しずつ開いていく。衿元がゆるんできたときは、衿そのものを引っ張って直そうとせず、脇の身八つ口(脇の開き部分)から手を入れて、おはしょりの内側の布をそっと下に引く。たるんでいた分がおはしょり側に吸収されて、元に戻りやすい。おはしょり自体がもたついてきたら、帯の下からはみ出した部分を指でつまんで帯の内側に押し込み、丈を短く整え直す。歩いているうちに裾が割れて広がってきたら、両手で腰紐のあたりの布を軽く左右に引き締め、内股気味に小さな歩幅で歩くことを意識する。どの直し方も、着物を脱がずに立ったまま数十秒でできる応急処置で、これを知っているかどうかで一日の着姿の印象は大きく変わる。反物を長方形のまま使う直線裁ちという仕立ての発想そのものについては、「着物はなぜ何度も仕立て直せるのか」で詳しく触れている。

衿元を陰で支える、名前の目立たない道具たち

着崩れやすい三か所のうち、衿元だけは事前の工夫で緩みそのものを抑えることができる。長襦袢の衿に芯を通したり、半衿を衿芯とともに縫いつけたりすることで、衿元の形そのものが崩れにくくなる。この半衿という小さな布については「長襦袢と半衿はなぜ生まれたのか」で由来を書いた。おはしょりと裾については、腰紐と伊達締めの締め方そのものが崩れにくさを左右する。腰紐は着物を体に固定する最初の要で、伊達締めはその上から衿元と裾線を安定させる役目を持つ。これらの小物一本一本の役割は「腰紐・伊達締め・足袋の役割」にまとめてある。派手さはないが、こうした名前の目立たない小物こそが、直線裁ちという着崩れやすい構造を陰で支えている。

着付けが「国家資格」になったのは、まだ十数年前のこと

着付け師や着付け技能士という肩書きは、今ではすっかり定着している。だが、これが国家検定として制度化されたのは、着物の歴史からすればごく最近のことだ。Wikipediaの着付け技能士の項目によれば、2009年10月15日の職業能力開発促進法改正で「着付け」が技能検定の対象職種として新たに認定され、翌2010年2月1日に一般社団法人全日本着付け技能センターが指定試験機関の指定を受けたことで、この制度が動き出した。実際の難易度はデータにはっきり表れている。全日本着付け技能センターの実施実績をまとめた資料によれば、2級の受験者数は2010年の453人から2022年には267人まで減り、11回累計の合格率は78.2%。1級は2010年の3,040人から2022年には947人まで減少し、11回累計の合格率は58.9%にとどまる。制度開始から2年目までは各地の着付け教室からの受検が集中して合格率が跳ね上がったが、3回目以降は50%台まで落ち込む年も珍しくない。1級資格を持つ人は、延べ1万人に満たないという。日常着として着物を着る人が減り、着付けを「習うもの」として捉える必要が生じたからこそ生まれた、まだ若い資格制度だと言える。

知っていれば直せる、知らなければ諦めるしかない

右前という衿合わせ、直線裁ちという仕立ての発想、体を寸胴に近づける補正、そして衿元・おはしょり・裾それぞれの直し方――一つずつ理由をたどると、着付けが単なる手順の暗記ではなく、それぞれに合理的な背景を持つことが見えてくる。1300年前の法令が今も衿の合わせ方に残り、着付けが国家資格として整備されたのはつい十数年前だと知ると、普段何気なく行っている所作の一つひとつに、思いのほか長い歴史の積み重ねがあることに気づかされる。衿元やおはしょりが崩れたときにその場で直せるかどうかも、結局は「なぜ崩れるのか」を知っているかどうかにかかっている。半衿や帯締め・帯揚げといった小物の役割まで含めて着姿の仕組みを知っておくと、崩れへの対応はさらに手早くなる。とはいえ、こうした知識があっても、実際に着物を着る機会そのものがなければ宝の持ち腐れだ。タンスに長くしまわれたままの着物があるなら、状態を確認したうえで、着物買取という選択肢も含めて次の活用法を考えてみてはどうだろうか。