留袖や紋付羽織袴の背中に白く染め抜かれた小さな図案が、いつ、誰の手によって定着したものかを知っている人は少ない。家紋は家柄を誇示するための飾りではなく、平安貴族が牛車の持ち主を示すために使い始め、やがて武家の旗印となり、江戸時代には身分を問わず庶民の暮らしにまで広がっていった記号である。五つ紋・三つ紋・一つ紋という数の違いがなぜ格式を左右するのか、そして自分の家に伝わる紋はどう調べればよいのか。順を追って確かめていきたい。

家紋はいつ、誰が使い始めたのか

家紋の起源は平安時代末期にさかのぼるとされる。Wikipediaの家紋の項目によれば、西園寺実季や徳大寺実能といった公家が独自の紋を牛車の胴に付け、都大路でその紋を披露して歩き回ったのが始まりだという。当時の牛車は誰が乗っているか外からはわからず、紋はいわば持ち主を示す標識として機能していた。この慣習が武家にも広がり、戦場において自分の働きを証明し名を残すための自己顕示として、各自が考えた図象を旗や幔幕にあしらうようになったと考えられている。源氏が白旗、平氏が赤旗を掲げて敵味方を見分けたように、紋にはもともと識別の役割があった。群馬県桐生市の紋章上絵に関する資料では、江戸時代前期には家紋が完成・定着し、衣服にも紋をつけるようになったとされ、江戸時代中頃には紋を専門に描く紋章上絵師という職業が成立したという。さらに江戸時代に入ると、武士だけでなく百姓や町人、役者・芸人・遊女といった身分の者までもが自由に家紋を用いるようになったと同項目は伝えている。家紋は身分の高い者だけの特権ではなく、江戸の世相のなかで庶民の生活文化としても根づいていった。

家紋は何種類あるのか

日本の家紋の総数は正確には把握しきれていないが、目安となる数字はある。前出のWikipediaの記事では、構造的な類似性に基づいて241種類の一般的な分類がなされており、個別の紋としては5116種類が存在するとされている。植物や動物、器物、幾何学模様、文字など題材は多岐にわたり、なかでも沢瀉紋・柏紋・片喰紋・桐紋・橘紋・蔦紋・藤紋・茗荷紋・木瓜紋・鷹の羽紋は「十大家紋」と呼ばれ、日本中の多くの家で使われている代表格とされる。ただし同じ苗字だからといって同じ紋を使うとは限らない点には注意したい。分家や養子縁組、時代ごとの事情によって紋が枝分かれしてきた歴史があり、名字だけを手がかりに紋を特定するのは難しい。だからこそ次に触れる、一つの家が複数の紋を使い分けてきた事情を知っておく意味がある。

定紋と替紋 ― 一つの家に紋は一つとは限らない

各家や各人が正式なものとして決まって用いる家紋のことを、定紋または本紋・正紋と呼ぶ。留袖や紋付袴に入れる紋は、基本的にこの定紋である。一方で、定紋以外に用いる家紋を替紋と呼び、一つの家が複数の紋を伝えてきた例は少なくない。武家の時代には主君から功績への恩賞として新たな紋を賜り、それを替紋として使い分けた例が伝わっているほか、女性が婚家の紋のかたわらで実家の紋を替紋として持ち続けた例も語られている。すべての家に替紋があるわけではないが、実家の紋を調べていく過程で、複数の紋が伝わっていることに気づくケースは珍しくない。祖父母の代の着物や持ち物に、留袖とは異なる紋が入っていたとしても、それは単なる誤りではなく、替紋として受け継がれてきたものである可能性を考えてよい。

五つ紋・三つ紋・一つ紋は何が違うのか

紋の数が変わるのは、単に数を増減させているのではなく、着物のどこに紋を置くかという配置のルールに基づいている。もっとも格が高い五つ紋は、背中心に一つ(背紋)、両胸に一つずつ(抱き紋)、両外袖に一つずつ(袖紋)の計五か所に紋を入れる。三つ紋は背紋と両袖の袖紋の三か所、一つ紋は背紋のみになる。紋の数が多いほど格が上がるのは、それだけ広い面積を紋という一目でわかる印に費やしているからで、黒留袖や男性の黒紋付羽織袴のような第一礼装は原則として五つ紋、色留袖や訪問着といった準礼装では三つ紋、略礼装として着る場合には一つ紋というように、数と格式が対応する関係にある。同じ色無地であっても、紋の数を変えるだけで慶事の礼装にも普段着にも姿を変えられる着物のしくみは、この配置のルールを理解して初めて腑に落ちるところがある。

紋を描く技術 ― 染め抜きと縫い、そして紋章上絵という職人技

紋の入れ方にも格の違いがある。白生地の地色をそのまま活かして紋の形を白く染め残す染め抜き日向紋がもっとも格が高いとされ、輪郭線だけを白く表す陰紋、その中間の太さで描く中陰紋、刺繍で紋を表す縫い紋の順に、格式は下がっていくとされている。この染め抜き紋を手描きで仕上げる技術は紋章上絵と呼ばれ、文化庁の文化遺産データベースによれば、1975年に記録作成等の措置を講ずべき無形文化財として選定されている。技術者は東京・京都に多いが全国に分布しており、紋型紙を小刀で切り抜き、刷毛で染料を生地に摺り込んで蒸気で定着させたのち、最後に面相筆で墨の線を描き上げるという工程を経る。桐生市の紋章上絵に関する解説では、一人前として独立するまでに七年ほど、完全な技能を身につけるには十年以上を要するのが現状だと紹介されており、紋という小さな図案の裏に、地道な修業に支えられた職人の手仕事があることがわかる。

実家の家紋はどう調べればいいか

自分の家の紋がわからなくなっているという人は少なくないが、手がかりはいくつかある。もっとも確実なのは、実家の黒留袖や喪服など、五つ紋を入れた礼装が残っていればそれを確認することで、そこに入っている紋がその家の定紋である可能性が高い。仏壇や位牌、法要で用いる提灯に紋が入っていることも多く、お墓の墓石に彫られている場合もある。菩提寺が長く続いていれば、過去帳に紋の記録が残っていることもあるので、住職に相談してみる価値はある。書店や図書館で手に入る家紋の逆引き事典で苗字から調べる方法もあるが、これはあくまで同じ苗字で多く使われている紋を示すものにすぎず、前述のとおり同姓でも家によって紋が違うことは珍しくないため、確実な答えにはならない点は踏まえておきたい。紋を継ぐ慣習は一般に父方の家のものとされることが多いが、地域や家によって異なるため、迷ったときは家の事情をよく知る年長の親族に尋ねるのが、結局のところ一番確実な方法になる。

紋を知ることは、手元の着物の来歴を知ること

家紋は平安貴族の目印から江戸庶民の暮らしまでを貫いてきた、長い歴史を持つ記号である。五つ紋・三つ紋・一つ紋という数の違いは着物の格式を、染め抜きか縫いかという技法の違いは紋そのものの格を、それぞれ表しており、どちらも思いつきで決められたものではない。実家に眠っている紋付きの着物を前にしたとき、その紋がどんな由来を持つのかを知るだけで、一枚の着物の見え方は変わってくるはずだ。紋の由来や格を知っておけば、実家の着物をそのまま受け継ぐべきか、あるいは着物買取に出して手放すべきか、判断の道筋も見えやすくなるはずだ。