南高梅の名前の由来、園芸科との情熱の結果

南高梅の名前は、現在の「南高梅」を品集改良し優良な「母樹」を選び出すまでの間、積極的に強力して頂いた「和歌山県立南部高等学校」の先生と園芸科に対し、感謝と尊敬の意味を込めて名付けられたのが由来とされています。

「和歌山県立南部高等学校」は、1904年に設立され、南高梅の名前の由来になった事も有り、現在でも「南高(なんこう)」と呼ばれて親しまれています。

 

和歌山県日高群みなべ町芝407に有り、周辺の「日高郡南部市(ひだかぐんみなべし)」「印南町(いんなみちょう)」は、南高梅が沢山栽培されています。

「紀州みなべの南高梅」の人気が高く、「地域団体商標」として登録されている位で、「紀州五代梅の心」も有名女優の引き出物として選ばれた事でも有名です。

 

他には、「てらがき農園の南高梅の梅干」「山口農園の熊野梅干し」等が有名で、主に「贈答品」として喜ばれており、「自分用・自宅用」に関しては、「つぶれ梅」と言う名前で、各農園や各会社から販売されている物が人気です。

当時は、高級なお土産と言う印象でしたが、最近はどこの農園や会社もインターネットや電話等で簡単に注文する事が出来、海外配送も可能と言う所も当たり前になりつつあります。

 

「南部市」の南高梅の評価が高い理由は、肉厚の割に皮が薄く、肉質も柔らかく美味しいからです。

 

開発当時の南高梅

南高梅の歴史は比較的長く、1900年頃には本格的な栽培が始まっていたとされており、「高田貞楠」が「内中ウメ」と言う名前のウメを「勇惣左七」から譲り受け、特に良質な物を選抜し、「和歌山県立南部高等学校」の協力を得ながら改良した物が、現在の南高梅だと言われています。

「内中ウメ」と言う名前のウメは、南高梅が存在していなかった頃に美味しいと言われていたウメの品種で、他の品種よりも大きく、沢山実ったと言われています。

 

この時点では、まだ「南高梅」と言う名前で呼ばれておらず、生産者の名前から「高田梅」と呼ばれていました。

ですが、「和歌山県立南部高等学校」の園芸科の顧問と生徒さんの情熱に心を打たれ、「南高梅」に命名して世に出されました。

 

現在のように全国や世界中から需要が出たのは、品種改良されてからですが、「ウメ」自体は、江戸時代頃から栽培されていたと言われています。

「ウメ」は毎年6月頃に「青梅」の状態で収穫され、高級な物程、手で収穫される傾向が高く、その後は、農家の方や職人さんの技術や経験、拘りによって違いが出て来ます。

 

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