博多どんたくの由来と松囃子からの名称変更

「博多どんたく」の起源は、「松囃子(まつばやし)」と言う行事ですが、由来自体は、オランダ語の「休日(日曜日)」「ゾンターク(zondag)」から来ています。

正式名称は、「博多どんたく港まつり」と呼び、現在でも、博多どんたくを「博多松囃子」と呼ぶ場合も有りますが、目的が異なります。

 

「博多どんたく」は、一般大衆向けの行事、「博多松囃子」は、語弊が有るかも知れませんが、大手企業や警察、福岡各庁舎や神社等、「上流階級寄り」の方を祝う行事です。

 

オランダ語由来の理由は、当時、博多は貿易で栄えた「博多湾」が有りますので、盛んに行われた貿易時に自然と言葉も入って来たと言う説が有名です。

博多の海外貿易の歴史は長く、中世の頃から本格的に始まっています。

 

博多どんたくと定まった休日

当時、「松囃子」が行事として親しまれて来ましたが、明治時代に廃止されてしまい、行事を復活させる時に博多どんたくに変えたと言うのが一般的です。

「どんたく」自体は、海外貿易が盛んになりつつあった江戸時代頃から使われ始めた外来語の一つで、オランダ語通り、「休日(日曜日)」が由来で、同じニュアンスで使用されて来ました。

 

「博多どんたく」として周辺地域に広まったのは明治頃で、同じ明治頃には、「一六どんたく」と言う名称で、政府公認の休日も出来ました。

「一六どんたく」は、「1日」「6日」だけ休日と言う意味では無く、「1・6・11・16・21・26」日が休日と言う「定まった休日」です。

 

現在は日本でも「日曜日」は休日と言う認識が一般化していますが、江戸時代〜明治時代頃までの間は、国民全体の定まった休日と言う考えは比較的薄かったと言われています。

漁師や料理人が「水」と関係している仕事だから「水曜日」を休日にすると言うのは現在でも残っており、当時もそうだったのかも知れません。

 

「松囃子」が廃止された理由と由来

現在では、「博多松ばやし」が「選択無形民族文化財」として認められていますが、1599年頃に「松囃子」に参加していた「どんたく隊」の前進となる「松囃子隊」の集団が、小早川秀秋の使者と居合わせた時、暴力沙汰になり、結果的に使者が亡くなってしまった事件が有りました。

 

その事が直接的な原因となり、「松囃子」は廃止されました。

「小早川秀秋」は、豊臣秀吉の家系で、豊臣家継承権をお持ちになられた位ですので、廃止されてしまうのも無理有りません。

 

「小早川秀秋」が遣わした使者は、肥後熊本藩初代藩主「加藤清正」の元へ遣わす予定でした。

 

博多どんたく「お面の理由・笑劇との関係」」の記事も参考にしてみて下さい。