仙台七夕祭りの歴史と起源、目的の変化が?

仙台七夕祭りの歴史や起源と密接に関係しているのは、仙台藩初代当主「伊達政宗」だと言われています。

江戸時代頃では、現在のような「復興」「鎮魂」に重きを置いていた訳では無く、「豊作」「豊漁」「ご先祖様を敬う」等が主な目的であったと言われています。

 

日本最大級の七夕祭りと評され、「東北六魂祭」の一つに数えられるようになったのは、「飢饉」「空襲」「戦争」「地震」等を経験しましたが、その度に市民や周辺地域の方が協力し合って「仙台七夕祭り」を盛り上げ、乗り越えて来たからだと言われています。

 

仙台七夕祭りの起源について

日本の「七夕」の起源と言われている中国の「星物語」と中国の行事の一つである「乞巧奠(きっこうでん)」が、日本の「田の神」にまつわる伝説や信仰心等と結びついて生まれたのが、「仙台七夕祭り」の起源であると言われています。

「乞巧奠」は、七夕行事の一つで、現在の「七夕」の起源と言われている行事の事です。

 

「乞巧」は「牽牛」「織女」の「星座」に対して「手芸」「裁縫」等の上達を願う事を意味し、「奠」は、お供え物を用意してお祭りすると言う意味です。

意外かも知れませんが、「星座」は中国が起源だと言われています。

 

時代的に見ると「奈良時代」にまで遡る必要が有り、朝鮮半島の「百済」を日本の天皇が保護した時に同時に伝わったのが「七夕」自体の起源だと言われています。

「百済」一族は「陸奥」(現在の福島・宮城・岩手・青森・秋田」を守るようになり、仙台へも七夕の習慣が伝わったとされ、仙台七夕の起源だと言われています。

 

仙台七夕祭りが大きく変わるのは「昭和初期」で、以前は現在のように豪華で鮮やかな雰囲気では無く、どちらかと言うと控えめであったと言われています。

 

仙台七夕祭りの歴史

「仙台七夕祭り」は、伊達政宗によって「江戸時代」頃には現在のような豪華さは無いにしても、おおよその流れは完成しつつあったと言われています。

歴史的に見ると、旧暦7月7日に開催されており、「子女の技芸の上達」を主な目的として伊達政宗が広めさせたと歴史には記されています。

 

その後、昭和初期頃に続いていた不景気に負けない為に、現在に近い豪華さと鮮やかさを兼ね備えた七夕祭りを、地元有志の方や商店街の方が一丸となって復活させたとされています。

この頃に「飾りつけコンクール」と呼ばれる七夕飾りを競うコンクールも開かれ、仙台七夕祭りを楽しみに来られた多くの方の心を打ちました。

 

そして、歴史上類を見ない被害が出てしまった「仙台空襲」「戦争」等が起きてしまい、「仙台七夕祭り」自体が開催出来ない状態が続きました。

「戦争」が終わった翌年には、復興への強い気持ちを表すかのように立派な約52本近くの「竹飾り」が用意され、その翌年の昭和天皇巡幸の際には、約5000本近くの立派な竹飾りが用意されたと言われています。

 

仙台七夕飾りはいつから?日程と各場所の時間 」の記事も参考にしてみて下さい。