岩手県の「田植え踊り」は、「大沢田植踊り」「山屋の田植踊」「小田島田植踊り」が有名で、「予祝芸能(よしゅくげいのう)」が由来と言われていて、「予祝儀礼」とも言われています。
「あらかじめ(予)」祝う「前祝い」と「大衆的娯楽(芸能)」を兼ねた行事で、「農耕儀礼」の一種だと言われています。
実際に収穫するよりも前に祝う事によって、豊作を祈願する行事で、天候不良や病気等による不作を防ぐ「除災」の意味合いも兼ねていると言われています。
「農耕儀礼」に関しては、岩手の「田植え踊り」以外にも、「田打ち正月」「田遊び」等が有名です。
岩手の田植え踊りの由来
当時、広く開墾が進められていた時に、田植え技術を伝える意味も兼ねて行われていたのも由来と言われており、屋内の「庭田植え」と、屋外の「座敷田植え」の2種類に別れます。
伝承されていく内に「中部型」のように、様々な「型」に分かれて行き、岩手だけでも「気仙」「東磐井型」「胆沢形」「和賀型」「中部型」等、5種類以上の田植え踊りが存在します。
岩手の「山屋の田植踊」「大沢田植踊り」に関しては、「重要無形民族文化財」として認められていて、「苗代作り」「田植」「稲刈」等の田植えや稲刈風景を順番に演じていきます。
「孫蔵」「弥十郎」「えんぶり」と呼ばれる「舞台進行役」が存在し、村や町の若者達を中心とした「早乙女」「奴」「あやとり」達が舞踏を始めます。
舞踏が始まると「一八」と呼ばれる道化役が励ましながら進んでいくのが特徴です。
「田遊び」と「田植え踊り」の違い
「田遊び」は、岩手等の「田植踊り」に由来や意味合いが似ているのかも知れませんが、主に「東海地方」「関東地方」を中心に行われる行事です。
稲作の「種まき」〜「刈り取り」までの一年間の流れを模す事が「芯」となっています。
「田遊び」や「田植踊り」がここまで重要視されて来た理由は、米や稲の収穫の良し悪しが、岩手の農耕従事者や周辺住民の方の「暮らし」を直接左右してしまうからだと言われています。
また、開拓を行っていく地域によっては、土壌の質がそこまで良くは無い土地も有り、現在のように適切な肥料や農薬が存在していたと言う訳でも有りません。
それこそ、「神頼み」「仏頼み」に近い物が有ったと思いますし、農耕技術を伝えるのでしたら、皆と仲良く楽しくしたいと言う思いも込められていたのかも知れません。
「請戸田植え踊りの現状と試み、山形との違い」の記事も参考にしてみて下さい。