弘前城は、「鷹岡城」「高岡城」とも呼ばる場合も有り、改修工事が行われていますが、当時の風景を再現した「公開型工事」を取り入れていますので、見納めにはなりません。
東北で唯一江戸時代から存在する天守閣で、「全国12天守」の一つですので、桜が好きな方や城が好きな方、歴史が好きな方にも改修工事中の弘前城は魅力的だと言われています。
弘前城の改修工事が行われる理由
改修工事が行われる理由は、「石垣の補修」で、石垣に「はらみ」が確認され、天守閣自体にも「傾き」が確認されたからです。
実は、前回は100年位前の明治時代にも行われており、今回は2度目です。
この改修工事自体は、「曳屋」と呼ばれる伝統的な作業です、弘前城の築城自体は、慶長15年、西暦で言うと1610年ですので、400年以上前だと言われています。
何も無い所からの一からの築城では無く、城門等は既存の物を手直しして使用しており、約1年位で完成した城と言う事でも有名です。
本来の弘前城の天守閣は既に見れません
弘前城は改修工事を迎え、約10年後に観る事が出来ますが、天守閣は本来3層では無く、5層でした。
原因は、1625年の落雷による物と言われており、当時の関係者の方の驚きや悲しみは計り知れません。
ちなみに、現在のように桜の名所として開放されたのは、明治28年頃、西暦で言うと1895年です。
改修工事で見納めにはなりません
今回の弘前城の改修工事は、工事自体を目玉にしている事でも有名で、シート等で覆い隠される事は無く、「公開型工事」にしている事が特徴です。
約3万人の弘前市民の協力によって、「曳屋」を行うイベントを行った事も話題になりました。
桜祭りや観光目当ての方の客足が遠のくから仕方無く公開しているのでは無く、この改修工事自体を目的に来て欲しいと言う「自信」も有ります。
単純に考えても、次の弘前城改修工事は、100年後ですので、このように、非常に珍しい改修工事期間自体が見納めになる前に記憶に残したいと言う観光客の方も多いです。
現代の重機自体は使用しておりますが、「風景」は全く同じと言うのも、改修工事中の弘前城が注目されている理由の一つです。
100年前と同じ「丸太」「荒縄」「麻の布」を使用し、更に「津軽藩」の家紋が施された陣幕を使用し、出来るだけ当時の改修工事以上の物を再現しています。
「100年前の改修工事は、どのような雰囲気だったのか?」を自分の目で確かめられる唯一の機会でもあり、時間が作れそうでしたら、改修工事自体が見納めになる前に記憶に留めたいと思います。
「弘前城の桜祭りに行く前に知っておきたい事」の記事も参考にしてみて下さい。