東京都府中で開催される「大國魂神社くらやみ祭り」は、1000年以上の長い歴史が有り、当時は、男女の無礼講が許されていた時代も有りました。
奈良時代から平安時代頃、国庁が存在していた都市を「国府(こくふ)」と呼び、その祭りの事を「国府祭(こくふさい)」と呼びました。
府中市に有る「大國魂神社」で行われる「例大祭」は、「国府祭」が由来と言われており、格式高い神事です。
一方、くらやみ祭りは、周辺地域にお住まいの住民の為の「祭り」が由来だと言われています。
「くらやみ祭り」と言う名称の由来は、祭り開催中は、周囲の余計な明かり等を消し、周囲が「暗闇(くらやみ)」になっていたからだと言われています。
今のようにコンビニや街灯が存在していた訳では有りませんし、最近のように「出店」が所狭しと並んでいた訳も有りません。
夕方を過ぎれば、数歩先が分からない日も有った筈です。
府中へのくらやみ祭りに限らず、このように男女の無礼講がある程度許されている祭りは、実際、日本各地に存在しました。
「子孫を絶えさせない事」が理由の一つとも言われており、特に閉鎖された村等は、なかなか出会いが有りませんので、少子化や廃村から守る意味合いも有ったと言われています。
府中くらやみ祭りは、「江戸中」から様々な人が来られていましたので、男女の素敵な出逢いも沢山有った筈です。
府中くらやみ祭りと男女
人によりけりかも知れませんが、府中の「くらやみ祭り」のように、非常に格式の高い行事が行われている時に、男女の無礼講が許されるのは、少し不謹慎だと感じる方も居られるかも知れません。
ですが、海外で言う「謝肉祭(カーニバル)」に近い意味合いも兼ねていたのでは?と言う意見も有りますし、祭り自体にはそう言った意味合いも有ったと言う意見も有る程です。
元々、男女の無礼講は、「子孫繁栄」の事を考えた場合、何も恥ずかしい事では有りませんし、女性が「拒否」した瞬間終わります。
これは考え方にもよりますが、ある程度閉鎖された村や町等は、どうしても「血が濃くなり過ぎる」傾向に有り、長期的に見ると「遺伝子」的な意味で問題が起きてしまう可能性が有るとも言われています。
現在でこそ、遺伝子学的にも「血が濃くなる事によるリスク」については解明されて来ていますが、当時の方は、経験や直感的な物によって理解していたのかも知れません。
「大國魂神社くらやみ祭りの日程と主な行事」の記事も参考にしてみて下さい。