葵祭の由来と流鏑馬と呼ばれた経緯と背景

毎年5月15日頃に開催を予定している「葵祭(あおいまつり)」は、「賀茂祭(かもまつり)」「北祭」とも呼ばれ、「上賀茂神社(賀茂別雷神社)」「下鴨神社(賀茂御祖神社)」の2種類の神社で開催される事も特徴です。

京都三大祭の中でも一番開催時期が早く、7月に開催される「祇園祭」10月に開催される「時代祭」が続きます。

 

葵祭は、毎回京都三大祭のスタートを飾るに相応しい賑わいを見せてくれ、平安時代の京都周辺では、「祭り=葵祭」で意味が通じた位です。

また、「三勅祭(さんちょくさい)」でも有り、京都三大祭の中でも格式が高い事で有名です。

 

「葵祭」の由来

「賀茂祭」が「葵祭」と呼ばれるようになったのは、江戸時代頃に再開された時だと言われています。

「賀茂祭」事は、平安時代頃から存在していたとされ、前身となる行事は、飛鳥時代から存在すると言われています。

 

室町時代に起きた内乱、「応仁の乱」頃に一度廃止されました。

「葵祭」と呼ばれるようになった由来は、再開された江戸時代当時、象徴とも言える「葵の花」「葵の紋様」が使用されるようになった頃に「葵祭」と呼ばれるようになったと言われています。

 

頭に美しく飾られている「葵の花」は、「カモアオイ」と呼ばれる品種で、「双葉葵」とも呼ばれています。

「葵の紋様」については、「衣冠等の衣装」「御所車等の車」等、様々な場所から確認する事が出来ます。

 

ちなみに、葵祭の行列でも目を引く「牛車」は、「ぎっしゃ」と読み、主役とも言える「斎王代(さいおうだい)」の歴史は比較的新しく、戦後、葵祭に登場したとされており、「民間の生まれ」「未婚女性で有る事」「全ての経費は自己負担」等の条件が存在します。

「斎王(さいおう)」自体の歴史は古く、「賀茂祭」が開催された「平安時代」の「嵯峨天皇(さがてんのう)」が「伊勢神宮」の「斎王」になられた時期が始まりとされています。

 

また、「北祭」と呼ばれる由来は、「南祭(みなみまつり)」の「対(つい)」と成す祭りだからだと言われています。

「南祭」は、毎年9月15日頃に開催される祭りで、京都の岩清水八幡宮で行われます。

 

葵祭と流鏑馬

葵祭の見どころの一つとも呼ばれている「流鏑馬神事(やぶさめしんじ)」は、「流鏑馬」に跨りながら3か所の的を「鏑矢(かぶらや)」で射抜きます。

「流鏑馬」の由来は、「馬」を「馳せる(はせる)」その一連の動作からから来ていると言われています。

 

葵祭の日程と有料観覧席を利用する注意点」の記事も参考にしてみて下さい。