浜降祭(茅ヶ崎)の魅力と歴史、「甚句」とは?

浜降祭(茅ヶ崎市)は、毎年7月の「海の日」に開催される祭りで、伝統歌謡の一つでも有る「甚句(じんく)」と「どっこい担ぎ」と共に海へと勇ましく突き進む事が特徴の一つとも言える非常に荒々しく行われる事でも有名です。

昭和53年頃には「神奈川県無形民族文化財指定」に認められ、「暁の祭典」として親しまれています。

 

ちなみに「甚句」は、「七・七・七・五」で1コーラスになる事が特徴の一つで、甚句の始まりは「江戸時代」頃だと言われています。

 

浜降祭(茅ヶ崎市)の魅力と神輿

文章だけを見ると簡単に感じてしまうかも知れませんが、最大の盛り上がりを見せてくれるのは、神輿を担ぎながら海へと突き進み、今度は町へと進んで行く時です。

時代の流れと共に当時の勇ましさ等は薄れてしまいましたが、現在でも非常に見応えが有ると言われています。

 

薄れてしまった理由については後述します。

 

浜降祭(茅ヶ崎市)と「禊」

海に神輿を入水させる事によって「禊(みそぎ)」を行う理由は、水の「力」と「霊力」を呼び込む事によって蓄え、新しい神様を招く事が目的だと言われています。

「禊」は全国的に見ると神社等で行われる事が多い「祓い(はらい)」に関係する儀式の一つで、私達が普段生活する中で背負ってしまっている「穢れ(けがれ)」等を落とす事が目的です。

 

海で「禊」を行わなければならない理由は、当時「寒川神社」の「氏子様」が茅ヶ崎市周辺の氏子様と「川」付近で喧嘩になり、亡くなられてしまい、行方が分からなくなった出来事と関係しています。

その後、「寒川神社」の「氏子様」は、海で発見され、「寒川神社」へと丁重に届けられ、毎年開催されるようになりました。

 

この出来事が「浜降祭」の始まりとしては一番有力な説だと言われていますが、他にも数種類の伝説が存在するようです。

 

「浜降祭」らしさは、もうありません

昭和」から「平成」に差し掛かる頃までは、海に神輿を担ぎながら入水するだけでは無く、投げ入れていました。

ですが、現在では神輿の修復に必要な費用の兼ね合いが難しく、色々な点が指摘され、現在のように「入水するのみ」となりました。

 

それに伴い、浜降祭(茅ヶ崎市)特有の荒々しさは半減してしまい、現在ではお子様も参加出来るようになってしまいました、

また、神社から海への距離が遠い場合、「神輿」を神社から浜降祭会場近くの海まで「バス」で「氏子(うじこ)」さんたちと一緒に運ぶようになってしまいました。

 

「浜降祭(茅ヶ崎市)」と言えば男の祭りだと思い、荒々しさを期待されて来られた方は、少し残念に感じてしまうかも知れませんが、これも時代の流れとして理解する必要が有るのかも知れません。