東京6大学野球の優勝回数と意外な歴史的事実

「東京6大学野球リーグ戦」の6大学内の各大学の優勝回数は、「早稲田大学野球部」が45回、「法政大学野球部」が44回、「明治大学硬式野球部」が37回、「慶應義塾体育会野球部」が34回、「立教大学硬式野球部」が12回です。

残念ながら、「東京大学運動会硬式野球部」の優勝回数は0回です。

 

東京6大学野球自体の優勝回数は、2016年1月29日時点で「23回目」で、東都大学の24回に迫る勢いです。

次に、関西学生の6回、首都大学の4回、仙台6大学の2回、愛知の1回、九州の1回、阪神の1回、関甲の1回へと続きます。

 

東京6大学野球の歴史

母校や親族、知り合いが関わっていない限り、まず、早稲田大学を思い浮かべる方が多いとは思います。

東京6大学野球の中でも、早稲田大学は、最多45勝以上と言う非常に素晴らしい記録も残されています。
「早稲田大学野球部」「慶應義塾体育会野球部」「明治大学硬式野球部」「法政大学野球部」「東京大学運動会硬式野球部」「立教大学硬式野球部」の6大学が加盟していて、「早稲田」と「慶應義塾」が1903年に始めた対抗戦が始まりです。

現在は「全日本大学野球連盟」の一つになり、「一般財団法人東京六大学野球連盟」と言うのが正式な名称で、「一般法人」になったのは、2013年の事です。

 

連盟自体は1925年頃に出来、「全日本大学野球連盟」の中でも最も歴史が長いです。

ちなみに、連盟発足時の成績は、優勝が「早稲田大学野球部」、2位が「明治大学公式野球部」、3位が慶應義塾体育会野球部」、4位が「東京大学運動会硬式野球部」、5位が「立教大学硬式野球部」、6位が「法政大学野球部」と言う結果でした。

 

1925年から現在に至るまでの間、東京6大学野球部の全てのチームがしっかりとした試合が出来たと言う訳ではありません。

昭和2年、昭和3年、昭和4年、昭和6年、昭和7年、に各校が「渡米」していますので、欠場校が有る年が有りました。

 

昭和6年には「早稲田大学」が一度脱退し、昭和7年頃に再び加盟していますので、「欠場」状態の時期も有りました。

昭和8年頃には「一季制」になってしまう時期も有り、昭和10年に「二季制」に戻りました。

 

昭和18年頃から20年頃には「戦争」が有り、リーグ戦自体が開催されていません。

もし、終戦後の昭和21年以降のように、毎年しっかりとした試合が出来ていれば、優勝回数も変わっていたと思います。

 

神宮球場の持ち込みで失敗しない為に(飲食物)」の記事も参考にしてみて下さい。