日立風流物の山車とからくり人形の歴史的背景

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日立風流物の山車とからくり人形の歴史的背景

「日立風流物(ひたちふりゅうもの)」の「山車(だし)」と「からくり人形」は、毎年3〜5日の間に開催されている「神峰神社大祭」で観る事が出来ました。

最近では、毎年4月の第2土曜日と第2日曜日に開催されている「日立さくらまつり」でも観る事が出来ます。

 

今後は、資金的な問題と後継者不足から、「日立さくらまつり」でしか「日立風流物」を楽しむ事は出来ないのでは無いか?と言う心配の声も上がっています。

国内行事で、「重要有形民族文化財」「重要無形民族文化財」の両方が指定されているのは、5種類しか有りませんし、「ユネスコ無形文化遺産」にも認められました。

 

もし、「神峰神社大祭」が無くなってしまうと思うと、素晴らしい伝統が途絶えてしまう事と同じ意味ですので、悲しいです。

 

日立風流物の山車

高さ15メートル以上、奥行き8メートル以上に対し、重さ5トン以上と言う軽量化が施されているのが特徴で、「からくり山車」の一種です。

「神峰神社大祭」の行事自体は、朝の10時頃から夜の7時頃まで開催されており、時間内は毎年200人前後が日立風流物を引っ張り続けます。

 

山車内部には約50人近くが乗り込み、からくり人形1体につき、約2〜3人が担当し、人形操作の方以外にも、笛や太鼓等の演奏を担当している方も居られます。

対戦時に日立風流物の殆どが焼失してしまい、江戸時代中頃に作られた物は殆ど残されていませんが、1958年頃(昭和33年頃)に現在の山車は復活し、翌年「有形」「無形」両方の「国市営重要民族文化財」として認められました。

 

毎年、行事が行われる毎に組み立て、解体が行われていますので、管理や維持、補修や練習の事を考えると、その大変さは、私達では想像する事が出来ない位です。

 

日立風流物のからくり人形

演目に合わせて違うからくり人形を用意し、5段にも渡る豪華な舞台に対して、各3体前後有り、流用しない事で有名です。

元々は、「神峰神社」へ「氏子」が操り人形を奉納した事が始まりです。

 

「氏子(うじこ)」と呼ばれる方々は、「氏神信仰」から来ており、氏神様に守って頂いている範囲内にお住まい方しか「氏子」になる資格は無く、当時は「氏人」とも呼ばれていました。

当時、人気が高かった、「人形浄瑠璃」を取り入れ、気の遠くなるような試行錯誤と練習が繰り返された後、現在のように素晴らしい演目へと昇華されたと言われています。

 

日立風流物と大祭礼の歴史と水戸黄門の関係」の記事も参考にしてみて下さい。

 

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