日立風流物と大祭礼の歴史と水戸黄門の関係

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日立風流物と大祭礼の歴史と水戸黄門の関係

日立風流物の「神峰神社大祭礼(かみねじんじゃだいさいれい)」は、毎年5月の3日、4日、5日頃に開催され、特に「端午の節句」「子供の日」の5日は、非常に賑わう事で有名です。

15メートル以上にも及ぶ巨大な「山車(だし)」と、五層にも及ぶ屋台で繰り広げられる「からくり人形芝居」が織りなす壮大さは、他に類を見ないと言われており、全部で4基存在します。

 

日立風流物の山車4基が全て登場するのは、7年に1度しか有りませんので、その年になると非常に注目され、日本各地だけでは無く、世界からも観に来られる方が居られる程です。

前回は2012年に4基が登場しました。

 

現在、「日立風流物」は、「日立さくらまつり」で観る事が出来ます。

 

日立風流物の歴史

「神峰神社大祭礼」の歴史に関しては、「水戸黄門」で有名な徳川光圀(みつくに)の命令による物です。

「伊弉諾尊」「伊弉冉尊」「熊野久須毘命」の三柱を祭る神峰神社が「宮田村」「助川村」「会瀬村」の3町の「鎮守の社」になった時に、山車が使用された事が始まりで、1695年頃(元禄8年頃)に開催されました。

 

「鎮守の社(ちんじゅのやしろ)」に関しては、宮田村・助川村・会瀬村を守護する目的で奉られた神が「神峰神社」に祭られているからです。

「日立風流物」の歴史に関しては、1716年頃から1735年までの間(享保期間中)に開催されたと言われています。

 

時代の流れと共に少しずつ形を変えて行き、現在の日立風流物は、明治始め頃に完成されたとされています。

 

日立風流物の「神峰神社大祭礼」の魅力

「指定重要有形民族文化財」として国から認められている「山車」は、最近では、「ユネスコ無形文化遺産」にも登録された事でも話題になりました。

「山車(だし)」は、「傘鉾(かさぼこ)」と呼ばれる場合も有ります。

 

「からくり人形芝居」は、「重要無形民族文化財」として国から指定されており、出し物は、「源平盛衰記」「太平記」「仮名手本忠臣蔵」「太閤記」等が中心です。

このように、「無形」と「有形」の重要文化財としている物が存在する行事は、日本に5種類しか存在していませんので、その希少性については、説明の必要は無いと思います。

 

公演時間に関しては、毎年、朝の10時頃から開催され、夜の7時頃までの比較的長い時間観る事が出来、「東町」「西町」「北町」「本町」を行き来していますが、非常に沢山の人で、日立風流物を追いかけ続けるのは至難の業です。

ですので、各町で開催されている時間帯に合わせて移動するか、待っているのが基本です。

 

日立風流物の山車とからくり人形の歴史的背景」の記事も参考にしてみて下さい。

 

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